蚊取り線香の香りは、嫌いじゃない。
 なんとなく夏という感じで、むしろ好きかもしれない。
 煙に近寄ってわざと嗅ぐほど好きではないけど。
 そんなわけで、夜。
 気まぐれに心霊番組を見て、怯える七色さんの頭を撫でる。
 蚊取り線香の煙に一回だけびっくりした七色さん。
「七色さん、幽霊なのに」
「幽霊だって怖いよ……。棒さんなんでそんなに平気なの……」
「棒人間フェイスは伊達じゃないのだ」
「棒さん強いぃ……」
 自慢。
 えっへん。
「あっあっ、棒さん」
「なに?」
「カーテン閉めて、怖い。怖いっ」
「かわいい」
「棒さん悪趣味だよっ!」
 そんなことないと思うけど、と立ち上がる。
 七色さんが心細そうに見上げてくる。
 上目遣い。
 うーん、やっぱり怯えた七色さんも可愛いんだけどな。
 そんなに悪趣味かな。
「ぼ、棒さん?」
 あんまり見つめてたものだから、不安そうな声になる七色さん。
「わっ」
「わぁっ!?」
 ちょっと驚かしてみたら、律儀にびっくりしてくれる。
 あぁ、微笑ましいなぁ。
「棒さん悪趣味」
「ごめん」
 泣きそうな目で見られては謝らざるを得ない。
 カーテンを閉めて戻る。
「……棒さん」
「なに?」
「怖い」
 うーん。
「なら一工夫」
「一工夫?」
「怖いものに余計なものを付け加えると、割と怖くないものになる」
 七色さんとかね。
 幽霊なのに全然怖くないから、きっとすごいものが付け加えられてる。
 なんだろう。
「うん、例えば?」
「車で夜道を走っていると、髪の長い不気味な女性が立ってる」
「ひえー」
「親指を立て、もう片手に『東京まで!』と書かれた看板を持ってる」
「ヒッチハイクかー」
「ヒッチハイクだよー」
 ね、怖くない。
 ん、いや、怖いかも。
「ただし現在位置は北海道」
「怖い」
 うん、やっぱり怖かった。
 夜中だというのに酷だ。
「乗せて運転再開。しばらくするとお腹が減ってきた」
「うん」
「ハンバーガーをテイクアウトしに行く」
「うん」
「せっかくだから女性に、食べたいものはあるか聞く」
「うん」
「するとこう答える。お腹いっぱいだから、えっと、オレンジジュースかな」
「かわいい」
「七色さんには敵わない」
「棒さん顔近い」
「近くない」
「近い」
「はい」
 閑話休題。
「ね。怖くない」
「でも、あのテレビは怖かったもん……」
「ん」
 恐怖は紛れないか。
 うーん。
 他に僕が切れるカードといえば。
「じゃあ一緒に寝よう」
「う、出た」
「出てないし、一緒なら怖くない」
「うう」
 言葉に詰まる七色さん。
 押せば折れそうだ。
 大チャンス。
「シャケさん居るから怖くない?」
「うーん」
「でもシャケさん、昨晩動いてた」
「シャケさん怖いっ!?」
 もちろん嘘だ。
 もし動いたって、七色さんに痛いことをするはずない。
 いつも一緒に遊んでるもんね。
「棒さん」
「ん」
「……意地悪」
 すねたように口を尖らせる七色さん。
 かわいいなぁ。
「意地悪」
「ごめん」
「もう今日は意地悪禁止だからね」
「うん」
「絶対だからね。そうしないと嫌いになっちゃうから」
「え」
 それは困る。
 考えられない。
 嫌だ。
「約束する」
「うん。じゃあ、その、一緒に……」
「寝る?」
「うん。いい……かな?」
 上目遣い。
 棒人間キラーな視線の前に、二言なし。
「じゃあ、寝よう」
「うん、寝よう」
「電気消すよ」
「え」
「ベッド近くのライトは点けとく」
「わ、分かった」
 緊張した面持ちの七色さん。
 意地悪にカウントされなくてよかった。
「どう寝よう」
「……奥がいい」
「奥?」
「壁際っ」
「分かった」
 七色さんからベッドに乗る。
 部屋を見渡せるよう、こちら側に顔を向けた。
 怖がってるなぁ。
 スタンドライトを点けてから、部屋の電気を消灯。
 オレンジの淡い光が優しい。
「じゃあ向かい合う」
「待って」
 七色さんはもぞもぞと手を動かす。
 持ったままだったシャケさんを、枕の間くらいに寝かせる。
「シャケさんガード」
「シャケさん動くよ」
「動かないもん」
「ごめん」
 意地悪だと思われちゃダメだった。
 慌てて謝る。
 僕は七色さんと向かい合うようになって毛布を被った。
 見詰め合う目と目。
 その間に居るシャケさん。
 シャケさんガードの壁、思ったより高そう。
「じゃあ、おやすみ、七色さん」
「うん。おやすみ、棒さん」
 とは言ったけど、七色さんの目が閉じない。
 落ち着かないのだろうか。
「……あの、棒さん」
「ん」
 ちょっと不安そうに目を伏せる七色さん。
「棒さんは、もし。もしだよ。私に嫌われたらどうするの?」
「…………。……………………。死ぬ」
 長考の末に叩き出した答え。
「死なないで!」
 七色さん、叫ぶ。
「えっと。だから、私、言いすぎた」
「ん?」
 何をだろう。
「意地悪したら、嫌いになる、って」
 そんなこと。
 それが言いすぎだって、どこがだろう。
「だから、あのね。意地悪されても、棒さんを嫌いにはなれない、と思うし」
「ん」
「それでね、棒さん」
「ん?」
「怖い。助けて」
 そんなことを言われては、助けなきゃいけない。
 棒人間は断れないのだ。
 七色さんをこっちへ来るように手招き。
 近づいてきた七色さんを抱き寄せて、僕の胸のなかへ。
「むがー」
「何も見なければ、怖くない」
「むーむー」
「……七色さん」
「むー?」
「これって、意地悪に入るかな」
「……んーん」
 僅か、首を横に振る仕草。
 よかった。
 嫌われたら、ほんとに死んじゃう。
「はい、シャケさん」
「んー」
 ちょっと力を緩めて、七色さんの胸にシャケさんを当てる。
 愛おしそうにぎゅってする七色さん。
 可愛いから、もう一回僕も七色さんをぎゅってする。
「むー、棒さんー」
「んー」
「あったかいー」
「良かった」
「ここだと怖くない」
「良かった」
「ありがと、棒さん」
「ん」
 ホラーのおかげかな。
 僕はなんだか幸せだ。
 わずか蚊取り線香の香りがする部屋。
 その片隅のベッドで二人、朝まで二人。



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