祭囃子が耳に痛い。
『もっと楽しめ、そら笑え』
 笛や和太鼓が語るようで。
 少し離れた神社の階段、そこに座って、遠くに光る祭りを眺める。
 じきに花火が上がるそうだ。
 なので私は花火でも見て、そのまま帰って眠るつもりだ。
 騒ぐのが好きな質ではない。
 お祭りなんぞ以っての外だ。
 私はこうして本を開いて、夏夜を涼むほうが性に合う。
 花火の話に思いを馳せて、打ち上げられる花火を眺める。
 なんとも淑やかな楽しみ方ではないか。
 栞を挟んで膝に置き、目を閉じ夜の虫に耳を傾ける。
 夏もたけなわ、夏の虫が秋の虫に変わる前に。



 唐突に虫の音が止んだ。
 鳴き止んだとも違く、一瞬にして世界が切り取られてしまったような。
 何事かと目を開けると、何か違和感だらけの世界が見える。
 混乱していると、背後から声が掛かった。
「おやおや、さも珍しい。人間が迷い込んでいるよ。迷い込んでいるね」
 がばっと後ろを振り返れば、肌が黒くて背の低い男の子が立っていた。
 肌が黒いというのは、焼けているとも違い、ねずみのような薄汚れた色。
 纏う着物は鮮やかな真紅を湛え、肌色とは対照的なのが嫌に目立つ。
「すいません、ここは?」
「混乱しているようだね。無理もないか。無理もないね」
 真っ黒、闇色の髪を揺らし、階段を二段ほど降りて私と視線を合わせる。
「ここは君たちの影さ」
「……影?」
「つまり、君たちの世界の裏側さ」
 曰く。
 私たち人間の住む世界は表で、裏の世界には妖怪や神様といった者が住む世界があるという。
 ここがそれらしい。
「ちなみにおいらは妖怪さ」
「何者? 付喪神の類ではなさそうね。人間と変わるのは肌だけ。天狗や鬼とも違うわね」
「おやおや、これは詳しいな。詳しいね」
 彼は心底から感心したように目を見開く。
 黒い肌とは対照的に輝いた瞳が私を見据える。
「さて、答え合わせだ。おいらは影法師」
「ウソ。影法師は妖怪じゃないわ」
 影法師とは人の影が写ったもののことのはずだ。
 妖怪ではなく現象。
 字面を見れば妖怪らしさもあるだろうが、私の知識を馬鹿にしてもらっては困る。
「八百万の神が居るのなら、妖怪もこれ然り。誰が何と言おうがおいらは影法師さ」
「そう」
「信じてないね、疑ってるね。自分の知識に自信と誇りを持ってるね。素晴らしいぞ、素晴らしいね」
 彼、影法師は私の手を引いて立ち上がらせると、向こうのほうを指差した。
 こちらでも祭りをやっているらしい。
「お姉さん、一緒に見に行こう!」
「私は……」
「興味あるって顔してるよ、してるね。津々だ」
「…………」
「大丈夫、祭りのたけなわには帰れるぞ。帰れるよ」
「……そう。なら」
 妖怪や神様の祭り。
 確かに興味がある。
 影法師はしっしと笑うと、手を引いたまま駆け出した。



 こちら側であろうと、祭りが騒がしいのは変わらぬらしい。
 違うところといえば、みんな人間じゃないところと、的屋の異質さくらいなものか。
 陰陽すくいって、何。
「おいら達は人間を真似て祭りを開くのさ」
「なぜ?」
「事情は彼ら彼女らそれぞれ諸々あるんだよ」
「じゃあ、あなたは?」
「おいらは影法師。表で人様が歩いていれば、裏でも真似て歩くのさ。影だからさ、影だからね」
 ……それに何の意味が。
 その疑問が顔に書いてあったらしく、影法師は何も言わずとも答えてくれた。
「ここにおいらが在るためさ、お姉さん」
「え?」
 視線を合わせると、彼はにんまり笑う。
 そして何かの屋台へ駆け出すので、慌てて後を追う。
「こんちは、手の目さん!」
 目を閉じた老人は、手のひらを開いてこちらに向ける。
 その中央に目が付いていた。
 ……確かに、手の目だ。まばたきしてる……。
「おお、さてもさてもめづらかなり。人間が居るではないか。そして久しいな、影法師殿」
「うん! ねえねえ、このお姉さんを占ってよ! 今年も占い屋さんなんでしょ?」
「然様。ふむ、であれば、憚りながら女子殿」
 おいでおいでと手招きされて、占い屋らしい手の目の前に立つ。
「では……」
「ちょっと待って。お代、持ってないけど」
「心配無用。人間からお代を取るなど恐れ多きこと。故、女子殿も例には漏れぬ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
 手の目は、その顔に皺を作って微笑むと、手のひらの目も細くなる。
 ただ優しそうな老爺の顔がどこか懐かしかった。
「ではしかと」
 手のひらの目が見開かれ、私の瞳を覗き込む。
 深く、深く、更に深く見透かされるようで、目を逸らしたくなる。
 しかしとり憑かれたかのように動くことができない。
「手の目さん、どうだい? どうかな?」
「……ふむ」
 影法師が問えばふっと目が閉じられ、私も解放されたように一息吐く。
 手の目はくちゃりと皺を寄せて、私に笑いかけた。
「快き道である。静けし道ながら暖かい」
「抽象的ね。つまり?」
「得てして卜者とは斯様なものであろう」
「……まあ、否定は出来ないわね。占い師なら適当なアドバイスも付け足せば良いかな」
「遺漏なく。女子殿の好きな歩調で往きなさい。ただ、今の女子殿には共に歩む者が少なく思う。自ら仲良き者に歩み寄り、寄り添いなさい」
 手の目は影法師を指差す。
「影法師のようにの」
 影法師と私の目が合う。
 横目で見合う私たちを見て、手の目は愉しそうに笑った。
 影法師はどこか照れくさそうに手の目に視線を戻して、口元に手で丸を作った。
「よっ、名卜者!」
「不肖ながら。お楽しみ頂けたかな、女子殿」
「ええ。ありがとう、名卜者さん」
「褒めても何も出りゃせんよ。そら祭りだ、他の愉しみも数多あろう。こんな老いぼれに時間を割くわけにもいかぬだろうて」
 さあ行け行けと促されるので、私たち二人はお礼を言って立ち去ることにした。
 影法師のように自ら友に歩み寄る……か。
 私には向いてなさそうだけど、やってみようか。
 名卜者様の仰る通りに。



「ばぁーっ!」
 道を歩いていたら、上から提灯が降ってきた。
 目の前でだらしなく開いた口、垂れ下がる長い舌。
 提灯オバケだ。
「あっ、提灯どん!」
「あれまあれま、驚かなかったよ。肝の据わった人間サマがきたもんだ」
 ややつまらなそうにその場でくるり、横回転。
 愉快そうに大きな口から笑い声。
「今宵は祭りだ、一度きり! 愉しんでいきな、何者も!」
「提灯どんは今日も楽しそうだね」
「まないでか! 今宵の祭りを照らす者、足元は無論、生者亡者の心も明るく照らす、そのために我らも楽しまにゃ!」
 私たちを舐めるように見つめて、さあ仕切りなおしだと言わんばかりにまた回転。
「さてさて、やあやあ影法師クンに人間サマ! おや人間サマ、顔が固まってらっしゃるよ、どうしたどうした人間サマ!」
 実のところびっくりしていたから固まっていた、とも言えず。
「珍しいものを見たなあ、と」
 なんて適当なことを口に出す。
「さてもさても、化けて出た甲斐もあるというもの! さてさて祭りを照らそうかね、油を売ってちゃ叱られちまうね!」
 するすると頭の紐に引っ張られて吊り上がっていく提灯オバケ。
 影法師はじっと見つめてからから笑う。
「提灯どん、相変わらずだ」
「知り合い?」
「まあ、そうなるかな。そうなるね。影と灯なんて、なんとも馬が合いそうじゃないか」
「確かにそうね。灯のないところに影はできない」
「ゆーこと。影があるから明るく見える。互いになくちゃならん者同士さ」
 必要とし合う者同士。
 一言で言うならパートナー、か。
 自信を持ってそう呼べる人、私には居るだろうか。



 影法師の腹の虫が鳴った。
「お姉さんお姉さん、お腹すいてない?」
 あちこち歩いては驚きの嵐で気付かなかったが、私もいつの間にか空腹だ。
「うん。何か食べ物はあるかしら」
「向こうの祭りでも食べ物の屋台はあるんだろう?」
「ええ、それはもうたくさん」
「ならこっちだってたくさんあるさ、たくさんあるよ!」
 影法師がてってと駆けるので後を追う。
 彼の目指す屋台の看板には『幸焼き』と書かれていた。
「……さちやき?」
 海の幸とか、その類だろうか。
「いーや、しあわせやきさ! おーい、カラコちゃーん!」
「はーいっ、あ、影法師君、よく来たね、お久しぶりですー」
 出てきたのは、赤いちゃんちゃんこを着た年端もいかぬ少女だった。
 カラコ……? あっ、カラコワラシのことか。
 一番有名な呼び方で、座敷童。
「人間様も、お初にお目にかかりますー」
「これはご丁寧に。えっと、ここは何屋さん?」
「あれあれお姉さん、さっき教えたじゃないか。幸焼きさ、幸焼きだよ」
「ごめん。どうにも馴染みがなくて」
 しあわせやき。
 うーん?
「表でいう鯛焼きみたいなものですよー」
「そういう認識でいいのね?」
「うちら座敷童がみんなの幸せを祈りながら作るのですー」
「鯛焼きに負けず劣らず、縁起が良さそうね」
「恐れ入りますー。では人間様、お一ついかがですかー?」
「じゃあ頂こうかしら」
「あっ、おいらもおいらも!」
「影法師君からはお代を頂戴しますよー」
「ちぇっ、抜け目ないなぁ」
 影法師はしぶしぶ、木の実のような何かを差し出す。
 あれがこっちのお金なのだろう。
 座敷童は満足そうに笑う。
「まいどありですー。少々お待ちくださいー」
「今から作るのね?」
「出来立てほやほやが一番ですよー」
「それもそうね。楽しみ」
「恐れ入りますー」
 なだらかな口調と同じように、にこり和やかに笑うと作業を始める。
「それにしても、本当に私たちのお祭りと変わらないわね」
「そうですねー。大体は同じじゃなきゃ、うちらにとっては意味ないんですよー」
「へえ。あなたは何でお祭りの場に居るの? それぞれ事情があるからって聞いたけど」
「あはは、影法師君の説明ですねー?」
「む、何か文句あんのかよー。あんのかー」
「いえいえー。うーん、そうですねー」
 どこか遠くを見る座敷童。
 作り慣れているらしい、手元に狂いはなかった。
「物の怪とか、妖怪って呼ばれる人は、大体みんな同じ理由ですかねー」
「どんな理由?」
「人間様の近くに居るためですー」
 にこり、純朴な笑顔。
「人間様、そも私たち妖怪って、何なんだと思いますー?」
「うーん……」
 妖怪とは何か。
 いわゆる人ならざる者、魑魅魍魎の類……いや、もっと根本的なことを問われているのだろう。
「分からないわ。何なの?」
「私たちはー、人間様の念から生まれたんですよー」
「念?」
「こんなの居たら面白いなー、こんなの居たら楽しいなー。あるいは、あの方が川で溺れ死んだのは、川の妖怪の仕業に違いないーとかですよー」
 どうぞー、と幸焼きを手渡される。
 袋越しで持っても暖かく、ほくほくと上る湯気のなんと香ばしいこと。
「そういう思いが集まって、うちらが生まれるんですー。物の怪はみーんな人の子ですよー」
「そうだったんだ……」
「こうして生まれたモノは、影ながら人間様に寄り添って生きなきゃいけないのですー。そうしないと大変なことになっちゃいますー」
 極端な話、消えちゃいます。
 てへっ、と舌を出すが、それで私の衝撃が消えるはずもなかった。
「だからこうして、人間様のマネをして、少しでも人間様の近くに居るのですよー」
「ふうん。いっそ堂々と一緒に暮らせないの?」
「そうできれば一番いいんですけどねー」
 言いにくそうに口を抑える座敷童。
 その様子を見て、先に一口頂いていたらしい影法師が、餡を頬につけたまま話す。
「残念なことに、おいら達を淘汰したのもまた人間なんだ。人間なのさ」
 そっか……。
 人間は排他的な生き物だ、ってどこかで読んだ覚えがある。
 過去に私たちの世界に蔓延っていた妖怪たち。
 人間を襲う妖怪だっているんだから、人間なら淘汰してしまうんだろう。
 それどころか、人間同士ですら争ってしまうのに、彼らがやってきた日にはどうなるのか。
 今は、人間と妖怪の住む世界を別けるしかないんだ。
「悲しいわね……。みんな仲良くできればいいのに」
「そうできれば、嬉しいんですけどねー」
 座敷童は哀しそうに笑った。
 なんとも印象的で、私はこの表情を一生忘れられないかもしれない。
「いつか来るさ! 人間とおいら達が、本当に寄り添って生きる日が! お姉さんとなら仲良くなれたんだし!」
 口いっぱいに頬張った幸焼きを飲み込んで、影法師が明るく振舞う。
 あどけなく、純粋に、邪の入る余地もないくらい満面の笑み。
「そうですね。いつかきっと来ますー。人間様、その時はよろしくお願いしますー」
「……ええ」
 私も出遅れて、やっと一口幸焼きをかじる。
 鯛焼きよりも少し甘く、餡がとろけ、なんとも幸せな味が広がった。



 そろそろ歩きつくしただろうか。
 そんな頃合になると、影法師がまた駆け出すので付いていく。
 元気に走り回って、それを追いかけて。
 なんだか、私の小さかった頃を思い出した。
「お姉さん、早く早く!」
「はいはい」
 ぴょこぴょこ跳ねる影法師の元まで駆け足。
 その辺りだけ異様に込んでいるようだ。
「何かあるの?」
「あるさ! あるよ!」
 周りの皆は、私を見ると道を譲ってくれる。
 人間って、優遇されてるんだ。
 もしかしたら、妖怪のイメージを少しでも良くしよう、みたいなことなのかも。
 一緒に暮らせる未来が近くなるように……。
 妖怪が一歩二歩退いて、人間を一生懸命持ち上げて。
 そういう関係でいいのだろうか。
 もっとこう、対等な立場で仲良くなれたらな……。
 やがて最前列に立つと、目の前には大仰な舞台。
「舞いがあるのさ!」
「なるほどね」
 ちょうど始まるところらしい。
 美しい女性が一人、中央で緋色の扇を持って舞い始める。
 その後ろを鬼火……時折女性にくっついても燃えないところを見ると陰火か……が舞台を彩る。
 左右には烏天狗と思われる一行が座して楽器を奏で、これがなんとも耳に心地良い。
 太鼓の音は心臓を跳ねさせる力強さ。
 笛の音は耳にするすると入る繊細さ。
 琴の音はどこか懐かしく心に響く。
 妖艶な女性と鬼火の舞いを見ながら、ふと疑問に思って影法師に問う。
「彼女は妖怪?」
「んー、違うみたいだね。たぶん神様のほうさ」
「……そういえば、妖怪が祭りをする理由は分かったけど、神様はどうなの?」
「神様は、人間や妖怪、ひいては国をお守りくださる偉大な方々さ。ああして舞って加護を授けてくださる」
 ……つまり、この場に居る妖怪はもちろん、ある意味で近くに居る人間たちにも加護を授けてくれるんだ。
「そっか。……私たち人間はさ、何のために祭りがあるかもよく分かってない人が多いんだ」
「へえ! そうかそうか、そんなもんだね。そんなもんか」
「でも、君たちにとって、お祭りって大事なものなんだ」
「へへへ。気構えは人間たちと大差ないさ」
「そうかしら?」
「だって人間の真似事をしてるんだもん。ひたすら楽しむのが一番の目的! 人間はそうでしょ?」
「そうね」
「だからいいのさ。人間たちが楽しむならば、おいら達だって負けずに楽しむ! そうしておいら達は在り続けるのさ!」
 影法師は舞いに目を戻し、吊り上げた口角を戻した。
「だからさ、お姉さん。お姉さんもわいわいがやがや騒いでおくれよ。向こう行ってもさ」
 私が楽しむことで、ここの皆がここに居られることの助けになる。
 みんな一緒に……表も裏も一緒に、お祭り騒ぎで楽しんで。
「そうね。悪くなさそう」
「そうだろう? そうだろうともさ!」
 それからはしばらく、美しい舞いに目を奪われたままでいた。
 影法師や、他のみんなも同じらしい。
 ……祭りとは、なんと素晴らしいものだろう。
 初めてそんなことを思う頃。
 さあ祭りもたけなわだ。
 舞いが終わると同時、花火が打ち上がった。



 少しだけ屋台から離れたところに場所をとって、静かに二人で花火を眺めた。
 私たちの世界の花火と何も変わらない。
 ひゅうー、と打ちあがって、どんっ、で咲く。
 色とりどりが、規則的なリズムで咲いては散って……。
「お姉さん、楽しめたかい?」
 影法師がふと、そんなことを言う。
「ええ、とても」
「そっか! おいらもさ、おいらもだよ!」
 影法師はてくてくと歩いて、私の背に寄りかかった。
 何事か、と思ったけど、思いの外軽い影法師を支えるくらい訳無い。
 だけどその場所じゃ、花火が見えないだろうに。
「なあ。おいらのこと、忘れないでいてくれるかい?」
「ええ」
「みんなのことも?」
「もちろん」
「へへっ、そっかぁ」
 だったらもう惜しくはねえや、と影法師が呟いた。
 背中の影法師が、だんだんと軽くなっていく。
「……? 影法師?」
「合縁奇縁、二人の出会いはこの世に一つ。されども御魂は共に無し。いずれ訪る惜別に、涙があっちゃあ締まりやせん」
 何かの歌のようにすらすらと紡がれる言の葉は、どこか遠く聞こえる。
「いつか回り逢うことを、皆で忘れず信じましょう。しばしの別れ、いざさらば!」
 ふっ。
 身体が急に軽くなると、花火。
 照らす屋台はありふれたものばかりで。
「…………」
 後ろを振り返るも、私の影――影法師があるばかり。
 帰ってきたんだ、元の世界に。
 そして彼らの世界もまた、消えてはいないんだろう。
 手の目。
 提灯オバケ。
 座敷童。
 影法師。
 そしてたくさんの者たち……。
「しばしの別れ、いざさらば」
 呟いて、もうじき終わる祭りへ駆け出す。
 いつかの影法師と同じ調子で。


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