……あれ、やけに寝心地が良いなぁ。
 私、確か車のなかで寝たはずなんだけど……。
 暑苦しかったのに、なんだか涼しい。
 ガタンゴトンという揺れが心地良く――
「――え?」
 ガタンゴトンとは、車とはまた別の乗り物じゃなかったっけ。
 ん、んんん?
 重い瞼をなんとかこじあけてみれば、何やら豪華な部屋。
 ふかふかのソファーで寝てたらしい。
 身体を起こして窓の外を見てみれば……。
 は、走ってる……。景色が横に流れていく。
 となると、ここは列車か何かの一室か。
 いったい何エクスプレスなんだろう。
 じゃなくて、あれ、列車なんか乗る必要あったっけ!?
 冷や汗が滝のように流れていく。
 まさか、寝ぼけてふらつき夢遊病!?
 寝たまま歩いてどこぞの列車に!?
 た、大変だ、お金はちゃんと払ったのかな?
 ああそうじゃなくて、ここどこ、どこに向かってるの!?
 鼻の奥がつんとして泣きそうになってしまう。
 不安だ、不安で潰れちゃう。
 そうだ、持ってきた荷物は……あ、ある。良かったぁ。
 電源オフの携帯電話を取り出して、電源を入れようとして思いとどまる。
 列車内で携帯って、どうなんだっけ!?
 いや待て、マナーについては個室みたいだし、大丈夫そう?
 ああでもこういう機器を使ったことで、電磁波みたいなのが列車に作用したら大変!
 また泣きそうになる。
 どうしようどうしようと頭を抱えていると、客室の扉が開く音がした。
「あ、お目覚めですか?」
 そちらを振り返ると、優しそうな車掌さんの姿が見えた。
 車掌さんの綺麗で端整な顔がすぐさまぎょっとする。
「だ、大丈夫ですか? 何か不都合がございましたか?」
 ああ、私ってばどんな顔してるんだろう。
「びえ、だいじょーうれす……」
 慌てて繕ったら日本語にならなくて、恥ずかしくなって顔を隠す。
 ああ、もう、私ってば何やってるんだろう!
「あの、落ち着いてください」
「はいぃ……」
 深呼吸、深呼吸。
 すう、はあ。すう、はあ。
「お、落ち着きましたっ!」
「は、はいっ、良かったです」
 私の大声に車掌さんがびっくりしていた。
 あぁ、また慌ててしまいそう。
「えーでは、コホン。切符を拝見してもよろしいでしょうか?」
 で、出たっ!
 どうしよう、私、ちゃんと切符買ったのかな!?
 慌ててカバンの中をがさごそ漁る。
「あれ、あれえ……?」
 見つからなくて、ついに涙が出てきてしまった。
 カバンをひっくり返して中身を全部出してみるけど、やっぱり見つからない。
 ポケットも探るが、出てくるのは小銭か埃だけ。
「ああぁ、車掌さん……」
「はい?」
「私、逮捕されちゃいますかっ……?」
「は……? いえ、ええと」
「怒られますか、拳骨ですか、鉄拳制裁ですかぁ……!?」
「あの」
「お金ありませんー……。ああうぅ、本を買うのに使い切ってしまいましたぁ……」
「落ち着いてください、お客様」
 何事か思案する車掌さん。
 あぁ、私の人生、終わったかな。
 こんな終わり方聞いてないよ、あんまりだよ。
「ううぅ……」
「あ、大丈夫ですよ。切符がないということは、こちらの不手際に違いありません。お客様は悪くありませんよ」
「ほんとですか……っ?」
「申し訳ありませんでした。大丈夫ですので泣かないでください」
 こくこくと何度もうなずいて涙を拭く。
「少々お待ちくださいね」
 と言い、車掌さんは何やら無線機のようなものを取り出すと、誰かと会話を始める。
「すいません、3号室のお客様なんですが、ご確認頂いてもよろしいでしょうか?」
 頭を冷やして周りを見れば、なるほど扉の上に3と書かれたプレートがある。
「……ああ、やはり。分かりました、次の停車で。事情はお話しても? ああ、そうですね。分かりました」
 車掌さんが通信を切ると、私と対面するようにソファーに腰掛ける。
 優しい微笑みを浮かべて、まだ泣き顔の私に頭を下げた。
「申し訳ありません。人違いでしたようで」
「人違い……?」
「ええと、何からお話しましょうか……。ああその前に、ご兄弟はいらっしゃいますか?」
「はい、居ます。その、お姉ちゃんが一人……」
「なるほど」
「私、事故で病院に運ばれたっていうお姉ちゃんに会いに、お父さんの車で……」
 ……そういえば、家を出たの、真夜中だったはず。
 窓を見る。
 どう見ても朝か、あるいは昼か。
 いったいどれだけの時間が……。
 ぽろりと零れた涙を見て、車掌さんが慌てて手を振った。
「すいません! 大丈夫です、すぐに戻れますので!」
「うう、すいません……」
「とにかくこれは我々のミス、事情をお話致します」
 姿勢を直す車掌さんを見て、私も背筋を伸ばす。
 楽にしてくださいと言われ、伸ばした背筋が少し緩んだ。
「まずはこの列車なんですが……。言いづらいのですが、死者の魂を空まで運ぶ、そういう列車なのです」
 衝撃はなく、思わずぽかん。
 しばらく意味を咀嚼して、背筋が寒くなってきて、口があわあわと震え始めた。
「わ、わ、私、死んじゃったんですかぁ?」
「いえ、大丈夫です。お客様は生きておられます。こちらの不手際なんです」
 続きを聞くと、私は死ぬ予定の他の誰かと間違って乗せられたらしい。
 次の停車で列車を降りれば、元の場所に戻れるとのことで一安心。
 切符とは実際に死んだ人が自然と手に入れるもので、本当に死んだ人なのか確認するため、この列車にも車掌が居るらしい。
 ともかく、ということは。
「じゃあ、じゃあ、私、助かるんですね?」
「はい、もちろん。ちなみに現在外は明るく見えますが、実際の時間はまだ深夜なのでご心配なく」
「良かったぁぁ……。ほんとに良かったぁ……」
 安心して息を吐くと、車掌さんはにこりと笑う。
 私はさっきばら撒いてしまった荷物をカバンのなかに詰め直し始める。
 最後に入れようとした二冊の本を見て、車掌さんは首を傾げた。
「それはなんですか? 同じ本のようですが」
「片っぽはお姉ちゃんへのおみやげですー」
 可愛らしいデザインのブックカバーが付いた二冊の本を持って、自慢するように見せる。
「ペアブックですっ」
「なるほど。本がお好きなのですね?」
「よく言われますー。私もお姉ちゃんも本が好きで……これは、私たちがずっと読みたかった本! プレミア付いてるので高いんですよー」
「ああ、それでお金がなかったんですね」
「恥ずかしながらっ!」
 きゃ、と本で顔を隠す。
 本のこととなると、どうしてもテンションが高くなっていけない。
 これで今までどれだけの人に引かれてきたことか。
「次にお姉ちゃんが帰ってきたら渡そうって思ってたんですけど、こんなタイミングになるとは思ってませんでした」
「……そうですか。そうですね」
「きっと大好きな本を読んだら、お姉ちゃんは元気になるのです。私、そう思ってるんですよ」
 感想交換会が楽しみですっ、と私は笑う。
「少し読んでみてもよろしいですか?」
 車掌さんは微笑みながら言うので、私は大きく一回うなずくと、一冊手渡した。
「ネタバレしないでくださいよー?」
「はは、大丈夫です」
 車掌さんがページをめくるのを、私はどこかワクワクしながら眺めていた。



 どうやら眠ってしまっていたらしくて、車掌さんに揺すられて目が覚めた。
「お客様、時間ですよ」
「何が……ですか……って、列車! 止まってます!?」
「ええ、お降りになれますよ」
 あわあわと荷物をまとめ、車掌さんに案内されて列車の出口へ。
 扉の先は一見普通のホームのように見える。
「では、発車オーライ、出発シンコー。目的地はお客様の光にございます」
 敬礼してみせる車掌さん。
 私は寝ぼけたまんま出口を抜ける。
「その前に闇がありそうですが、お客様ならば乗り越えられます」
 闇……、なんだろう。
 ……あれ、何か、忘れてるような。
 …………。
「あ、あっ! 私のペアブック!」
 振り返ってみたら、車掌さんが本を持っている。
 あの可愛らしいブックカバーは、間違いない!
「車掌さん、本! 本!」
「一つ、お話していなかったことがございます」
 早くしないと、扉が閉まっちゃう!
 でもなんだか、意識が朦朧として、身体が動かない。
「あなたの代わりに入られるお客様なんですが――ああ、いけない。扉が閉まる前に手短にお伝えします」
 私と車掌さんの間にある扉が閉まっていく。
 ああ、間に合わない。
 なんとか手を伸ばすけど、視界がもやに包まれていく。
「お客様のペアブックは、私からお渡ししておきますので、安心してくださいませ」
 その声を最後に、意識が切れた。



 目が覚めると、病院に着いたらしくお父さんに叩き起こされた。
 お姉ちゃんが居る病室へ向かうと――
 分かっていた。
 お姉ちゃんはもう事切れていた。
 お姉ちゃんの手には、私の本と同じブックカバー。
 昔っから二人でやっていた、ペアブックという決まりごと。
 最後のペアブック。
 お医者さんの話によると、目を離した隙に持っていて、その時から穏やかに、静かに息を引き取ったらしい。



 落ち込んだりもしたけれど、明け方。
「うん、泣かなかったよ。私偉いっ」
 いっつも泣き虫だっていじられたけれど、今回ばかりは大丈夫だった。
 なんとなく分かってたから、覚悟なら列車のなかで密かにしたんだ。
 病院の外に出て、まだ涼しい空気を胸いっぱいに吸って、大きく伸びをして。
「んーっ!」
 と声を出して、「ふうっ」で腕を下ろす。
 どこからか、列車の走る音が聞こえた気がした。
 私はいつか見た車掌さんのマネをして、敬礼して朝日に笑う。
「発車オーライ、出発シンコー! 感想楽しみにしてるよー!」
 手に持ったペアブック。
 お揃いのタイミングで読むならそろそろかな。
 お姉ちゃんてばせっかちだから、もう読み始めてたら、ずるいよって怒るからね。
「せーのっ」
 掛け声と共に、本の最初のページを捲った。


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