私は座って、彼は立ってる。
 ベンチの背もたれ越し、背中合わせのリレーション。
「毎日毎日、君も飽きないんだねえ」
 などとふざけた調子で笑う彼は、ひょうきんで軽薄だ。
 つくづく私には男を見る目がないらしい。
 私たちの間に、約束事は一つだけ。
 お互いに振り向かないこと。
 私は彼の顔を知らないし、彼も私の顔を知らないだろう。
 心だけ通じ合ってる――なんて、そんなのはうぬぼれだ。
 だけど彼は、そんなうぬぼれに付き合ってくれている。
 きっと彼もうぬぼれているのだ。
 そう思うと、思わず笑みがこぼれる。
「おいおい酷いなあ。俺、変なこと言ったかい?」
「ううん」
「だよね。じゃあ、どうしたんだい?」
「ヒミツだよ」
「おやおや、気になるなあ」
 苦笑しているのだろう彼の声が唸る。
 男を意図的に困らせて笑うなど、私には悪女の才でもあるのだろう。
 彼は「参ったなあ」などと呟いて、背もたれを後ろからギィと押す。
 しばしの静寂。
 私は本のページをめくる。
「……居る?」
 あまりに静かなので不安になって、呼びかける。
「んー?」
 居るようだ。
 なんだか安心。
「何してるの?」
「木の葉を数えていたのさ」
「退屈させてごめんね」
「大丈夫。俺は楽しい」
 はて、木の葉を数えることの何が楽しいのか。
 変わった男だ。
 さて、私としては、そろそろ彼がどんな顔をしているのか気になってくる。
「ねえ、振り向いちゃダメ?」
「ダメだよ」
「うーん。なんで?」
「見れば崩れる、そんな関係もあるんだ」
「それが私たちなの?」
「試してみるかい?」
 彼は相変わらずひょうきんな笑い声を上げ、子供をからかうような口調で言う。
 んー……。
 そりゃ、彼の顔は見てみたい。
 どれほどの身長なのか、体型は、顔付きは?
 思えば私は、彼のことを何も知らないのだ。
「見たら崩れる、それってどんな関係?」
 質問を切り出す。
「うーん」と答えにくそうに唸る。
 だけど私はいじわるだ、答えるまで待つことにする。
「知らないほうが良かったとか、そういうの?」
「君ならその心配はないと思ってるよ?」
「うん。私も心配してない」
「ははっ。問題があるのは俺のほうさ」
「どんな?」
「知れば、俺はもう話せなくなるのさ」
 いつも通りふざけているのだか真面目なのだか分からない口調。
 だけど、なんとなく思うのは、本当なんだろう。
 どういう意味かは分からない――
 いや、ちょっとだけ、察しは付いてる。
 だから、私はまだ、彼の姿を見たいと思ってる。
「話せなくたって、会えるでしょ?」
「んー。まあ、そうだけどねえ」
 困ったなあ、と彼は呟く。
「俺はね。この関係が心地良くて仕方ないんだ」
「うん」
 私もだ。
「必要以上を知らない、最低限を知ってる。だから俺は君と話せる」
「うん」
 あるいは、私もそうかもしれない。
 でも――
「でも、もう一歩、歩み寄りたいんだ」
「そこは、もっと良い関係に繋がるかな?」
「きっとね。二人で望めば、どんな関係にもなるよ」
「そっかぁ。……はは、なんだか名残惜しいなぁ」
「それに、君は私を振り返ったことあるでしょ?」
「……んー」
 なんとなく、だけど、図星だったようだ。
「ずるいじゃん」
「じゃあ、君が決めて?」
「いいの?」
「おかしな質問だなあ。君が見たいって言ったんじゃんか」
 そうだけど、意外とあっさり。
 私は緑の香りが付いたしおりを挟み、本を閉じると、ゆっくりと振り返る。
 そこには誰も居なかった。
 やっぱり彼はずるいのだ。
 ひょうきんな口調と同じ軽さで、どこかへ掻き消えた。
 だけど、彼は恥ずかしがりやなことも知ってるよ。
「明日は見せてね」



 翌日、ベンチのところまで走っていく。
 すると、一匹の狐と目が合った。
「こんにちは。お名前は?」
 狐は恥ずかしそうに首を傾げて、そっぽを向く。
 その様子を見て、「ああ、彼だ」と思った。
 背中合わせの関係は崩れ、新しい関係に一歩。
 私は屈んで、腕を広げ。
「二人で望めば、どんな関係にもなるよ。君が望むのは、どんな関係?」
 狐の彼は、笑ったように見える。
 なるほどいかにも軽そうな笑みで、彼は私に歩み寄った。


 目次

inserted by FC2 system