泥松から取り返した種もみは、僅かばかりの金子に変わった。
 それを持って、腹が減ったので食事処『月屋』のなかへ入る。
 銀次郎を探す前に、なにか食べておこう。
 そう思い、店のなかを見渡す。
 仕切りのない座敷が大半を占める内装。
 さっきと変わらぬ賑わいぶりで耳が飽きない。
 壁際にある、すだれで区切られた座敷に上がり、腰を下ろす。
 それからお品書きに一通り目を通した。



  ―『祭凰館』―



 頼んだものを食べていると、銀次郎が姿を現した。
「おっ、こんなところにいたか」
 銀次郎は私に気づき、向かいに座る。
 私の食べっぷりに銀次郎は面白そうな笑いを上げた。
「美味いか? まさか月屋にいるとは思わなかったぜ」
「悪かったよ、迷っちまって」
「いいさいいさ。なにはともあれ、たらふく食っとけ。腹が減ってはなんとやらってね」
 鮎の塩焼きに白米、それから豆腐の味噌汁。
 どれもほかほかで美味しい。私に言わせれば贅沢だった。
 それも、この町では人目をそれほど気にする必要もなさそうなのでありがたい。
「にしても、ずいぶんと評判がいいぜ? 夜の蜘蛛さんよ」
 そう言われて、米が喉に詰まりそうになる。
「評判だって? 何の話だよ。やっぱり私のこと知ってるやつがいたのか?」
「いや、そうじゃないぞ。むしろ知ったって言えばいいかね。見かけない娘が泥棒を退治したってさ」
「ああ、そういうことか」
 ほっと胸を撫で下ろす。
 銀次郎は相変わらずにやにやしていた。
「ありがたい話だよ。こそ泥をこらしめただけで飯が食える。これならいくらでも退治するぞ、私は」
「ははっ、ならいっそ用心棒にでもなったらどうだい?」
「それは柄じゃないからな」
「そうかね? 用心棒、夜の蜘蛛! 悪党成敗! なんつってさ。かっこいいと思うぞ?」
「名乗るなら別のを名乗らせてくれよ……」
 味噌汁をすすって、はたと気づく。
 私ばっかり食べて銀次郎を待たせてるようで、それはすこし居心地が悪かった。
「銀次郎は食わないのか?」
「蛇火のとこで食ったからな。まだ腹は減ってないんだ」
 そう言われて、今朝は朝餉を食べ損ねたことを思い出した。
 もったいないことをしたと思う。
「で? 種もみ泥棒はどうだった?」
「どうって言われてもな。その辺によくいるようなこそ泥だった。あと子供だったな」
 私は例の泥棒のことを思い出す。
「名前は泥松って言ってたな。で、さらぎ? とかいう盗賊の一人らしい」
「へえ、沙羅木組か」
「知ってるのか?」
「最近、この辺りに拠点を移したって噂の盗賊団の名前さ」
 銀次郎の口ぶりからして、それなりに名のある盗賊団なのだろうか。
 しかし泥松は大した相手ではなさそうだったが。
 そういえば、地面を泥にしてくる術を使ってきていたことを思い出す。
「なあ、銀次郎。忍法ってあると思うか?」
「なんだ急に?」
「いや、その泥松がさ。地面を泥に変える忍法を使ってきたんだよ」
「へえ? ははっ、なるほど泥か」
「本当なんだよ」
「疑っちゃいないさ。万術っていってね。そういう術は色んなやつが使えるものだからな」
「万術?」
 ならばああいった術は、本当にあるということだろう。
 泥松が特別すごいのだろうかと思ったが、そういうわけでもないらしい。
 私の知らないことがまだたくさんあるものだ。
「その乾いた泥だらけの格好も、なら合点がいくしな」
「……嫌なことを思い出させんなよ」
 どこかで洗い流せれば良かったのだが、誰が見てるとも知れない川などで洗う気も起きなかったので、そのままにしていた。
 今ではすっかり乾いてしまっている。
「で? 銀次郎の用は終わったのか?」
「まあな。あとはこいつを祭凰館に持ち帰るだけ」
 そう言って銀次郎は、ぴらりと紙切れを取り出した。
 手紙だろうか。
「祭凰館って?」
「鳥居をくぐって出てきたところあるだろ? あそこを登っていった先にあるんだ。俺はそこに住んでるってわけだな」
「ふうん。じゃあ私はもういいな。世話になったな」
「いやいや、待った。蜘蛛の嬢ちゃんも一緒にな」
「は? そこまで付き合えってのか?」
「借りは返すって言ったのは蜘蛛の嬢ちゃんだぜ。まだなにも手伝ってもらってないもんなー」
「いい性格してるよ、おまえ……」
「褒め言葉と受け取って良さそうだ」
 自分で言ったことだ。曲げられない。
 私は観念してうなずいた。
 銀次郎は嬉しそうに笑う。
 どこまで付き合わされるか分かったものではないが、仕方ない。
 こうなったらご相伴預からせてもらうとしよう。



 祭凰館のある山は、風切山と言うらしい。
 そして、この石畳の坂道は鳥目山道と言うようだ。
 由来を聞くと、銀次郎は笑ってはぐらかした。
 今朝通ってきた鳥居を横目に、もっと上を目指して歩く。
 そうやって辿り着いたのは、大きな建物だった。
 祭凰館。
 銀次郎が入っていくので私も入る。
 中に入れば、その広さがよく分かる。
 廊下は長く伸びていて、部屋もたくさんある。
 廊下の至るところに取り付けられた提灯はいったい何なのだろう。
「……なあ、銀次郎。どこに向かってるんだ?」
「んー、ちょっとな。ははっ、なんだ。驚いてるな?」
 私は何も答えずに銀次郎の後に付く。
 館がこれだけ大きいことにも驚いていた。
 けれどそれよりも、これだけ大きな館なのに、まるで人に会わないのが不思議だった。
 途中で階段を上がり、屋敷の最奥に到達する。
 そこは広い部屋になっていた。
 奥のほうに、景色を一望できる展望台があるように見えた。
 天井は高く、薄暗いために木目の模様も分からない。
 そんな部屋の奥に、二人のひとの姿が目に入る。
 片方は銀色の長髪を揺らす美しい女性。
 もう一人は紫色の髪の、むすっとした顔をした少女だった。
「ただいま戻りましたぜ、お館様」
「あら、おかえりなさい」
 銀色の髪の女性は返事をして、私のほうを見て首をかしげた。
 少女のほうはなぜだか私を睨んでいるように見えた。
「あなたは?」
 そう聞いてくると、私がなにかを言う前に銀次郎が口を開いた。
「ちょいと蛇火に預かりましてね。迷子で可哀想だったんで拾ってきたんですよ」
 もうすこし言い方がないのかと思ったが、余計なことを言うのはやめておいた。
 事実、似たようなものだ。
「そう。蛇火と会ってきたのね」
「そういうわけ。ひとまず俺は用事を済ませてくるんで、ここで待たせてやってもいいか?」
「……は?」
「ええ、もちろん」
「おい銀次郎、私が手伝うことってのは?」
「じゃ行ってくるぜー、いい子に待ってろよ蜘蛛の嬢ちゃーん」
 言うが早いか、銀次郎はそそくさと部屋を出て行ってしまった。
 呆然と立ち尽くしていると、私の隣を紫髪の少女がすり抜け、銀次郎を追いかけていった。
「なんなんだよ……」
 釈然としないまま頭を掻いて、銀色の髪の女性と向かい合う。
「こんにちは。お名前を教えてくれるかしら」
「……知朱」
「そう。私は胡氷。よろしくね」
 どこか冷たい佇まいの胡氷。
 涼しげな色合いの着物と、儚い氷を思わせる髪飾り。
 その姿は、霧氷のように深閑としながら美しい。
 そんな、前にすると気が引き締まるような女性だった。
「あなたは蛇火を知っているみたいね」
「知ってる……。とはいっても、むかつくやつだってことしか分からなかったけどな」
 私がどれだけ必死に食らいつこうとも、蛇火は飄々とした態度でそれをかわす。
 私はそれがなんとなく気に入らなかった。
 刀の業でも口でも勝てない。私は勝てない相手がとことん嫌いなようだった。
「そう。元気そうで何よりだわ」
「元気ではあったよ。生意気にな。ああいうやつはきっと長生きする」
「そうね。そうだといいけれど」
 切なげに目線を落とす胡氷。
「…………早く、出してあげないとね」
 ぽつりと、そんなことを呟いたような気がした。
 それから胡氷は微笑みを繕って私を見る。
「じゃあ知朱さん。ようこそ祭凰館へ。歓迎するわ」
「そりゃどうも。でも私はすぐに出ていくつもりなんで、歓迎は要らないけどな」
「そうなの?」
「銀次郎になにかを手伝ってくれって言われて来ただけだからな。それが終わったらすぐにでも」
「そんな仕事、銀次郎にあったかしら。最近は暇を持て余してるように見えたけれど」
 胡氷はそうやって首を傾げるので、私は心のなかで悪態をつく。
 銀次郎に嘘でもつかれたのだろうか。
 それとも、魚の町で会ったという学者に頼まれた仕事があるのか。
「ああ、そういうことね」
 こちらが考えていると、胡氷は合点がいったようにやんわりと手を叩く。
「ひとつ聞いてもいいかしら? あなたは何者?」
「何者って……」
 唐突な問いかけに面食らう。
 そして、正直に答えていいものか悩む。
 私は夜の蜘蛛。国のお尋ね者だ。
 もしかしたら胡氷は私のことを知っているかもしれない。
 そう考えたが、胡氷も蛇火や銀次郎と同じように見えた。
「夜の蜘蛛」
「……蜘蛛?」
 胡氷は首を傾げた。
 やはり胡氷も私のことを知らないようだ。
「言うだろ? 夜の蜘蛛は不吉だってな。国中の人間から命を狙われてるんだ、私」
「どうして?」
「そりゃ、まあ、ごたごたあって」
「そうだったの。分かった」
 胡氷はあっさりと受け入れ、些事だというように頷く。
 この手の切り返しで調子を狂わされるのは、どうにも慣れない。
 これまで私に敵が多すぎたのだ。
「じゃあ本題も、単刀直入に聞く」
 胡氷は、冷たくも優しい淡雪を思わせる美しい顔を綻ばせる。
「祭凰館に住むつもりはない?」
 その誘いに淀みはなく、からかう様子もなく。
 ただ胡氷の目は真っ直ぐに私を見ていた。
「……あのな」
 なればこそ、私はこの誘いを受け入れられなかった。
「さっき言ったろうが、私は夜の蜘蛛なんだって。私を招き入れても、やってくるのは厄介事だけだ」
「さて、それはどうかしら」
 胡氷は笑う。
「蛇火に会ってからのこれまで、知朱さんのことを知る者はいた?」
「そりゃ、いないかったけどよ。いつ嗅ぎ付かれて追っ手がここまで来るかも分からないんだ。そうなったときに火の粉を被るのはあんたらなんだぞ」
「大丈夫よ」
「なにを根拠に……」
 私は心底、呆れているようだ。
 どうにも胡氷は人が良すぎるように思えた。
 それから程なくして銀次郎が戻ってくる。
 一緒に紫髪の少女も戻ってくると、すぐに胡氷の傍についた。
 機嫌が悪いのか、いつも通りなのか、相変わらずむすっとした顔をしている。
「よう、蜘蛛の嬢ちゃん」
「……銀次郎も、私をここに住ませようって腹なのか?」
「ははっ、まあそんなところ。お館様ー、話、どこまで進んでますかね?」
 胡氷は簡単に、私がここに住むことを断ったということを説明した。
 銀次郎は「なるほどねぇ」と苦笑する。
「俺らに危険がないように断ってるってわけか。男らしいねぇ、蜘蛛の嬢ちゃん」
「勝手に言ってろ。私はここに居座るつもりはないからな」
 ひとつ所に留まっては、敵に見つかりやすくもなるだろう。
 胡氷や銀次郎のためだけではない。自分もためにもだ。
「じゃあ、これからどうするつもり?」
「今まで通り、適当にぶらぶら逃げ回るさ。蜘蛛らしくな」
 胡氷の質問に答えて立ち上がる。
 銀次郎のなにかを手伝うという話ではあったが、手伝ってほしいものもなさそうだ。
「あー待て待て、蜘蛛の嬢ちゃん」
「うるせえ、止めるなよ。私は行くからな」
「蛇火と仲が良いんだよな? いやーちょうどよかった。ひとまずそこで暮らしてみるってのはどうだい?」
 銀次郎は去ろうとする私の前に立つと、そんな提案をしてくる。
「……あのな。今度はどういう魂胆だ?」
「なるほどね。追われてるのならば、それも良いかもしれない」
 と、胡氷も銀次郎の言葉にうなずいた。
「蛇火の居る場所は、狭間の檻と呼ばれる空間。結界が張られているの」
「結界だって?」
「蜘蛛の嬢ちゃんも経験したろ? どこまで進んでも同じところに戻ってきちまう」
 また突飛な話が飛び出してきたものだ。
 とはいえ、鳥居をくぐって別の場所に来たことや、泥松の術も見てしまっているので、そこまで大きな驚きはない。
 そう簡単に信じるつもりはなかったが、胡氷と銀次郎の顔を見ると、本当なのだろうと思えてしまった。
「その狭間の檻は、他所から入り込むこともできない。鳥居を使わない限りはな」
「……いや、待てよ。私はいつの間にかあそこにいたぞ。鳥居をくぐった記憶はない」
 刺客に追われ、必死に逃げていたとはいえ、鳥居のようなものに気づかないほど気が回らないわけではない。
 そういうと、銀次郎はわざとらしく悩む素振りを見せた。
「こんなことは初めてだから、きっとこれからも大丈夫」
 と、胡氷が曖昧な言葉で助け船を出す。
 もしその話が本当ならば、私にとって安寧の地のように思える。
 しかしどうにも分からなかった。
「どうして私をそんなに引き止めたいんだよ? 深い仲でもあるまいし」
「縁ならある。こうしてお話をしているわ」
「そういうことじゃねえよ。私がここに居ることで、あんたらは得すんのかって話だ」
「見ての通り、今の祭凰館はがらがら。人手不足なの。それになにより……」
 胡氷は薄く、僅かに笑い、瞼を閉じた。
「祭凰館は損得で動かない」
 凛として、そう言った。
「だから、またいつでもいらっしゃい。他にもいろいろ話してから決めても遅くはないでしょう?」
 胡氷はそう言って、私を祭凰館から送り出した。



 銀次郎に案内してもらい、祭凰館の外に出る。
 結局、すっぱりと断ることはできなかった。
 相手はすんなり引くだろうと思っていただけに、想像を超えて粘られたので面食らったのだ。
「さーて、ほんじゃ蛇火のとこに戻るとするか、蜘蛛の嬢ちゃんよ!」
 銀次郎は声高々にそう言って私を先導し始めた。
「よりにもよって、なんで蛇火のところなんだよ……」
「あれ? 蜘蛛の嬢ちゃん、悔しくないのか? 蛇火に負けっぱなしなんだろ?」
「…………」
 銀次郎の背を睨むものの、銀次郎は気づいていないだろう。
「そんなに不服なら、これで貸し借りなし。ってことで手を打とうぜ」
「振り回されっぱなしで疲れた。それで貸し借りなしになりそうなもんだけどな」
「まあまあ、そう言わずにさ」
 楽しそうに笑いながら銀次郎は進むので、私も仕方なしに付いていった。
「……なあ、ひとつ聞きたいんだがよ」
「ん?」
「狭間の檻って、ようするに何なんだ? 蛇火はどうしてそこに居る?」
「早い話が牢みたいなもんでね。で、蛇火はそこに閉じ込められてるんだ」
「……蛇火が? なにをしたんだよ、あいつ」
「あー……。詳しい事情は省かせてくれな」
「なんでだよ。何者とも知れないやつと一緒に住ませようってのか?」
 私がそういうと、銀次郎は初めて言葉に詰まった。
 それからしばらく考えると、困り果てた様子で頭を掻く。
「……蛇火は悪いやつじゃない。とりあえずはこの言葉で、納得してくれないか?」
 銀次郎の真剣な声色に、今度は私が言葉を失った。
「時が来れば話すこともあるだろうさ。そん時までお預けな」
 銀次郎は元の調子に戻ってそう言うが、私はなにも言えないままだった。



 鳥居の前で銀次郎と別れ、狭間の檻のなかに入る。
 それからしばらく森を歩いて、蛇火のいる建物が見えてきた。
 そこでいったん立ち止まる。
 本当に戻ってきてしまった。
 流されに流されて、結局はここに留まることとなってしまった。
 気持ちではどうにも釈然としなかった。
「……流されたんじゃない。負けっぱなしが嫌だっただけだ」
 自分に言い聞かせていると、向こうから蛇火が歩いてくるのが見えた。
「なにを立ち尽くしている」
 そうやって蛇火は、いつもと変わらない仏頂面で声をかけてくる。
「戻ってきたということは、銀次郎がここに来るように言ったか」
「私、ここに住まわせてもらうんだと。せいぜい邪魔してやるよ」
「そうか。歓迎する」
 蛇火は相変わらず、のらりくらりとした態度で聞き流す。
「なら家に入れ」
 そう言って蛇火は家に向かおうとする。
「……蛇火。おまえ、なにをやらかして狭間の檻に閉じ込められているんだ?」
 そう聞いてみると、蛇火は何てことはないように答えた。
「あるひとを殺した」
 あっさりと言われて拍子抜けした。
 しかし同時に、肝を冷やした。
 ひとを殺したという言葉に驚き、しかしすぐに私も似たようなものだと思い直す。
 人殺しと夜の蜘蛛がひとつ屋根の下とは、悪い冗談のような奇縁だ。
 しかし悔いてももうすでに遅い。
 私は覚悟を決めて蛇火の後を追った。



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