未明の空は、未だ暗い色を映していた。
 夜も明けきらない時分の涼しい空気を、胸いっぱいに満たす。
 今日は早く起き過ぎた。
 しかし家のなかに蛇火の姿はなかったので、森でも散歩しているのだろう。
 今日こそは祭凰館を訪れようと思う。
 昨日は銀次郎と出かけてしまったので、あれから祭凰館には訪れていなかった。
 いつでも来るといい、と胡氷が言ってくれた手前、行かないのはむしろ悪いように思えた。
「今朝は早いな」
 そんなことを考えていると、蛇火の声が背中に掛かる。
 蛇火は木片を担いでいた。木を切ってきたのだろうか。
「おまえも朝っぱらからご苦労さん」
「木切れが尽きそうだった。火がなくては不便だからな」
 不愛想に言いながら、蛇火は家へ足を進める。
 しかし途中で、ふと立ち止まった。
「もうどこかへ行くのか」
「そのつもりだけど。今日は祭凰館に行く」
「そうか」
 蛇火は一言呟いて、こちらを振り返る。
「朝餉は食っていくか」
 そう言われたので、相変わらずの蛇火の調子がどこか気に入らなくても、私はうなずくしかなかった。



  ―『火吹き』『吹っ消し』―



 祭凰館に近づくと、門のほうからなにやら騒がしい声が聞こえてきた。
 鳥の鳴き声よりも通る声は耳によく入り込む。
 何事だろうと門を潜ってみると、白髪の少女がわたわたと駆けまわっていた。
「ううー! どこいってしまったんよ、あややや、どうしようー!」
 祭凰館の表に飾られた提灯の前で賑やかな悲鳴を上げ続ける。
 ぼんやりとその元気な様を眺めていると、少女はこちらに気づいて振り返った。
「あや、お客さまです? ようこそ祭凰館へー!」
 少女はそう言って頭を下げる。
 短いお辞儀を済ませて顔を上げると、にかっと笑った。
「今日はどのようなご用件で?」
「あ、えーっと。ちょっと胡氷に合いにきたんだ」
「お館様に御用ですねっ! ははあ、分かりました! ささお客さま、どうぞどうぞー!」
「ああ。……なんかあったのか? 騒いでたけど」
「ひゃあっ、見られてましたか! あやや、これはお恥ずかしいっ! 顔から火が出そうです!」
 少女は顔を真っ赤にして、手で自分の顔を扇ぐ。
 せわしない娘だと思った。
「それがですね、提灯の数が足りなくなってしまいまして。探し回ったものの見つからず、こうしててんてこまいなのです!」
「提灯?」
「です! 確かに昨日まではあったんですけども、それなのにこの通り、門のところの提灯が忽然と消えてたんよ! いやたまげましたよー、狐に潰された気分です」
「そりゃ怖いな」
 少女は困り果てたようにうーんと考え込む。
 それからはっとしたように私を見上げた。
「って、私のことはいいのです! さあさ、お館様のところへどうぞどうぞ! お時間取らせてしまって申し訳なかったです!」
 私には提灯の行方に心当たりもないので、そうさせてもらうことにした。
「改めて、ようこそ祭凰館へ! ゆっくりしていってくださいねー!」
 祭凰館のなかに入ると、背後ではまた少女が賑やかに騒ぎ始める。
「それにしても、本当にどこへいってしまったんよー! 出ておいでー!」
 提灯が見つかることを祈りながら、私は銀次郎に案内されたときの通路を思い出した。



 この間、胡氷と会った部屋までなんとか辿り着くことができた。
 まだ日の光は入りづらいようで、すこし薄暗い。
 しかしそれでも、この部屋に今は誰もいないことが分かった。
 どうにも早く来すぎたらしい。
 部屋でのんびり待たせてもらうことにして、部屋をぐるりと見回す。
 ふと、部屋の奥にある障子戸が目に入った。
 何の気なしに開けてみると、風切山から見渡せる限りの景色が目の前に広がった。
 外に迫り出した廊下に立つと、朝風が優しく頬を撫ぜる。
 雄大な景色は、それだけで圧倒されるものがあった。
 海の近くには、大きな川でぐるりと囲まれた町が見える。魚の町だ。
 すこし離れたところには綺麗な沼が見える。昨日、泥松と遭遇したところだ。
 更に奥に目をやると、黒い葉をつけた森や岩山など、色とりどりが一望できる。
「知朱さん、そんなに乗り出すと危ないわよ」
 不意にそう声を掛けられて驚く。
 いつの間にやら隣に胡氷がいた。
 私はこの景色に見入ってしまっていたらしい。
「えーっと、ありがとよ。胡氷……でいいんだよな」
「ええ、それでいいわ。ここ、いい景色でしょう?」
 胡氷は私と一緒になって、景色を見る。
「ああ。すごく良いところだなって思った」
「気に入ってくれたみたいね」
「まあな。あ、だからといってここに住むとかって話とは、まるで関係ないからな」
「それでいいわ。自分のことだものね、ゆっくり考えてみなさい」
 胡氷の白い肌が、日輪の日差しに曝されていく。
 儚くも凛とした顔つきが、やけに眩しく見えた。
「言い忘れていたわね。おはよう、知朱さん」
「おう、おはよう」
 軽く挨拶を交わすと、私と胡氷は座敷に座り、向かい合う。
 いつの間にか紫髪の少女が部屋に立っていた。
 とてとてと胡氷の隣までやってくると、丁寧に座り込む。
 しかしまだ眠いらしい、首をこくりこくりと前後に揺らしていた。
「そういえば、紹介がまだだったわね。この子は紫子。私の身を守ってくれている」
「へえ。小さいのに、立派なんだな」
 紫子に、きっと睨まれた。
 鋭い眼光に思わず怯む。
「昨日は銀次郎と一緒だったみたいね」
「ああ。銀次郎って強いんだな」
「手合わせしたの?」
「いや、見てただけだ。それでも強さはよく分かった」
 銀次郎といえば、と聞いてみたかったことを思い出す。
「万術って、胡氷も使えるのか?」
「ええ。なにも珍しいことじゃないけれど」
「それって、どんな?」
 銀次郎の話だと、万術には様々なものがあるそうだ。
 銀次郎の変化の万術に、泥松の地面を泥にする万術。
 同じように胡氷や紫子も、そういった万術を持っているのだろう。
「いずれ見ることもあるかもしれないわ。急ぐことはない」
「……もったいぶるような物なのかよ?」
「そう期待されても困るけれど。手の内を簡単に晒すのは慎んだほうがいいということよ」
「へえ。私と戦う気があるってか?」
「そうじゃないわ。ただ、無闇に使っていい万術じゃないの」
 なるほど、と納得しておく。
 泥松の万術と似たようなものなのだろうか。
 胡氷は紫子の頭に手を乗せる。
 紫子はされるがままにしていた。相変わらずむすっとした顔をしているが。
「紫子も万術を使えるわ。もしかしたらあなたも、ね」
「は? でもそれって、ここらのひとにしか使えないんじゃないのか?」
「そうでもない。あなたのように後からやってきたひとも、万術に目覚めるなんて珍しい話じゃない」
 そう言われるが、さすがに実感は湧かなかった。



 話もほどほどにして、祭凰館のなかをひとり見て回ることにした。
 祭凰館という館はやはり広くて、歩けば歩くほどに迷ってしまいそうだった。
 ひとまず、なんとか祭凰館の入り口である表門までたどり着く。
「あああ、やっぱり見つからないんよー!」
 と、今朝会った少女の声が聞こえてきた。
 まだ見つかっていないのだろうか。
 そちらへ顔を出してみると、二人の少女が慌てふためいていた。
 賑やかなのが増えている。
「ほんとーにどこ行ってしまったんよー!」
「そうそう、何処行ったんだろう」
 二人はよく似ている。
 しかし増えたほうは黒髪だったので見分けやすい。
「あや、お客さま、もうお帰りです?」
 私と目が合うと、にっこり笑って白髪のほうが小首を傾げる。
「いや、まだだ。なんだ、まだ見つかってないのか?」
「もーそうなんですよー! ねっ、姉様!」
「うんうん。大変だよね、姉様」
 互いに互いを姉様と呼び合っている。
 ということは、双子だろうか。
「狐に、啄まれた気分?」
 黒髪が白髪と似たようなことを言った。
 双子のようだ。
「手伝ってやろうか?」
 そう言ってみると、白髪の賑やかなほうが両手を大きく振る。
「えええええっ! そんなお客さま、恐れ多いですよー!」
 黒髪のおとなしめのほうがこくこくと頷く。
「うんうん、大丈夫。気にしないでくださいねー」
 そして二人そろってにこりと笑う。
「ささ、私たちのことはお気にせず!」
「お気遣いどうもありがとうございますですー」
 息の合いようもなかなかのものだった。
 そう言われれば私の出る幕はないらしい。
 挨拶を返して、私はそのまま祭凰館を出ることにした。



 狭間の檻に戻ると、蛇火は家のなかで昼餉を食べていた。
 こちらを見もせずに静かに問う。
「帰ったか。食うか?」
 私は黙って椀と箸を取り、自分の分をよそう。
 沈黙に沈黙で返すように蛇火も口数なく、そのまま食事を続けた。
 しばらくして、痺れを切らして口を開いたのは私のほうだった。
「祭凰館には賑やかなのがいるな」
 蛇火の目がこちらを向く。
 鋭い目つきに負けぬように睨み返してみながら続けた。
「髪が白いのと、黒いの」
「楓と椿か」
 すぐに思い当たったように蛇火は名前を言う。
「へえ。どっちがどっちだ?」
「楓が白だ。あの双子は、祭凰館の見張り番だ。祭凰館の明かりも二人で管理している」
「明かりって、祭凰館にたくさん飾られてる提灯か?」
「そうだ。夜には万術を使って灯りを点す。見たければ夕刻にでも行ってみるといい」
 そこまで言って、再び沈黙が始まった。
 相変わらず愛想のないやつだと思う。
 そうしていると、いつの間にか蛇火は箸を置いて瞑目していた。
 もう食べ終わったらしい。
「知朱はゆっくり食べればいい」
 蛇火がそう言うので、私は勢いよく飯を食べ始める。
 蛇火は呆然と私の様子を見ていた。
 最後の一口を飲みこみ、急いで手を合わせる。
「ごちそうさん」
 蛇火はひとつため息を吐くと、時分の椀を持つ。
 私の前の椀も取ろうとするので、それより早く私が椀を持って立ち上がった。
「自分でやる」
「そうか」
「おまえのもよこせ! まとめて洗う!」
「そうか。助かる」
 蛇火の世話になりっぱなしなのがなんとなく気に入らなかった。
 これではいつになっても蛇火が上のままだと思ったのだ。
 しかし蛇火は悠然としたまま私に任すので、結局私が損しているだけのように感じた。



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