早朝の祭凰館を訪れると、廊下でなにかを持った銀次郎と出くわした。
「おっ、蜘蛛の嬢ちゃん。ちょうどよかった」
 そう言って銀次郎は笑う。
「ちょっと美味いもんを手に入れてね。いま大丈夫か?」
 美味しい食べ物があるとなれば、私には見逃すことなどできなかった。
 頷いて銀次郎の後をついていった。


  ―『饅頭』―



 途中ですれ違った楓も誘い、三人で部屋に入る。
 部屋は銀次郎が寝床に使っているところらしい。
 意外にも整頓が行き届いているのに、すこし驚いた。
「お呼ばれしちゃってすいませんーっ!」
「ははっ、いいさいいさ」
 嬉しそうにする楓と、普段通りあっけらかんとした銀次郎。
 銀次郎は持っていた箱を私たちの真ん中に置くと、楓が「あっ!」と歓声を上げた。
 銀次郎はやはり楽しそうに笑う。
「おっ、分かったか? さすが、門番ちゃんはお目が高いねー」
「えへへへ、手の目の兄さんほどではないですよー! にしても、これは懐かしいですねぇ」
 しみじみと言う楓。
 銀次郎が開けた箱のなかには、美味しそうな饅頭が詰まっていた。
「魚の町でさ、余ったからおひとつって貰ったんだ。あ、悪くはなってないぜ。先にひとつ食った俺が言うんだから、間違いない」
「お先に食べちゃったんですか! もーずるいですよぉー!」
「こうして一緒に食えるんだ、言いっこなしだぜ」
「食い意地張ってますねぇ、手の目の兄さんてばー、もー」
 そうやって話し続ける二人をよそに、饅頭をじっと眺めた。
 思えば、久しく甘いものを食べていない。
 最後に食べてから一年や二年は経っているのではないだろうか。
 たしか、団子を盗んで食べたのが最後だったように思う。
「て、そろそろ食うか。蜘蛛の嬢ちゃんの視線で、饅頭に穴が開く前にな」
 そう言われてはっとすると、こほんと息を吐いた。
「知朱様、お顔がまっかですよー!」
「ほっとけ。おい銀次郎、勝手に食うからな」
「おー食え食え」
 先に饅頭に手をつける。
 口のなかで餡がほろりと溶けた。
「あっという間にほくほく顔ですねっ!」
「ほっとけっての」
 楓にまじまじと見られ、顔を逸らす。
 くすりと笑うと、楓も饅頭に手をつけた。
 幸せそうにとろけた顔をして、両頬に手を当てる楓。
 自分も十分、ほくほく顔だ。
「はぁー、いやお懐かしゅうですー」
「だろ? 感謝してくれてもいいんだぜ?」
「ははー、さすがは手の目の兄さん様でございますーっ」
 そうやって三人で饅頭を囲み、緩やかに時間が過ぎていく。
「これほどおいしい甘味は、思えばあれ以来となるんですねぇ……」
 そんななか、楓がふとしみじみと呟いた。
 銀次郎も笑いながらもそれに合わせる。
「そうだなぁ。あのひとは甘いものが本当に好きだった。ちょうど蜘蛛の嬢ちゃんみたいな顔をして、嬉しそうに頬張ってたっけな」
「つい昨日も、そこの娘に、だれそれに似てるって言われたよ」
「ああ、祇明さんそっくりさ」
「私に似てるって、その祇明さんとやらも、さぞかし無力だったんだろうな」
「そりゃ自虐がすぎるね、蜘蛛の嬢ちゃん」
 銀次郎は手を振り、否定した。
 戦いでは蛇火たちに勝てず、強い相手に命を狙われれば逃げ回ることしかできない。
 その挙句、すこし優しくされれば、こうして甘える形になっている。
 自分で数え上げても弱いところばかりだった。
「時に蜘蛛の嬢ちゃん。祭凰館を見て、なにか思ったことはないかい?」
 唐突な問いにすこし動揺する。
「……楓と椿は、祭凰館のひとから元気がなくなった、って言ってたな」
「蜘蛛の嬢ちゃん自身の話さ。思うことはなかったか?」
 そう言われて考えると、すぐにひとつ思い当たった。
「部屋の数が多い割には、まるで人が住んでないように見えるな」
 銀次郎は神妙にうなずく。
「そうさ。祇明さんがお館様をやってた時代は、部屋のほとんどが埋め尽くされるほどに、祭凰館は栄えていた。それ相応に賑やかだったしな」
 今の私には想像できない話だ。
 私は静かな祭凰館しか見たことがない。むしろ騒がしいというのは違和感があった。
「それが、なんでひとがこんなに減ったんだよ?」
「祇明さんの死。そいつが原因さ」
 いつの間にか、楓は真面目そうな顔で銀次郎の話を聞いていた。
 銀次郎も笑みを浮かべてはいるが、声から真剣さが滲み出ている。
「あのひとは祭凰館の顔役でね。誰もが祇明さんの毒気のなさに毒されていた」
「うんうん、楽しいお方でしたよねぇ……」
 寂しそうに笑う楓。
 銀次郎は「そうだな」と返事をして続ける。
「いつだって中心にいたのは祇明さんだった。連中はその祇明さんがいなくなった祭凰館を、見ていられなかったんだろうな」
「それで、みんな出て行っちまったのか……」
「連中がどこにいったかも分からない。俺たちにも引き止める理由がなかった。けっきょく残ったのは、とくべつ祭凰館に愛着があるとか、祇明さんに特に世話になった物好きだけさ」
 話に聞いていると、祇明と私は、とことん似ていないように思える。
 祭凰館に慕われ、愛されていた祇明。
 国中に嫌われ、命を狙われ続ける私。
 とてもじゃないが重ならない。
「物好きだなんて、そんな! ここは私たちのふるさとだからですよー!」
「ははっ、そうだな。ここ以外で暮らすなんて、俺だって考えられないさ。ずっと俺たちの故郷だ。しっかり守ってくれな」
 頬を膨らませた楓の頭を撫でる銀次郎。
 膨らんだ頬がしぼんでいく。
「……銀次郎は、どうして祭凰館に残ったんだ? 愛着だけか?」
 楓と椿が残った理由は聞いていた。
 祇明が生きていた頃の活気をなんとか取り戻そうとしている。
 健気に、一途に、門番として祭凰館を明るく照らし、守り続けているのだ。
 しかし銀次郎はどうなのだろう。
「そうさなぁ。祇明さんがひょっこり帰ってきそうな気がするからかな」
 と、冗談っぽく笑ってみせた。
 次の饅頭を手に取って、目隠しの刻印で見つめるようにして止まる。
「祇明さんが死ぬところを俺は見てる。帰ってくるなんてありえない、御伽噺もいいところさ。それでも、夢って分かってても、まだ覚めたくねえんだよなぁ。今にもそこの戸を開けて、おまんじゅうちょうだいって言って入ってきそうな気がする」
 銀次郎にしては、どこか弱気な響きを含んでいると思った。
 きっと銀次郎も、祇明という前のお館様が好きだったんだろう。
「もちろん、いまのお館様が駄目だってわけじゃないぞ? 胡氷さんはよくやってくれてるし、俺たちを気遣ってくれるし、他にない理想のお館様さ。それでも胡氷さんは祇明さんになれない。本人が痛いほどそれを知っていて、それを歯がゆく思ってるはずだ」
「胡氷と祇明は、仲が良かったのか?」
「そうさ。羨ましいほどにな。まさに親友って感じだったよ」
 ならば尚更、祇明の代わりになれないことを痛感しているのだろう。
 私にはよく分からないが、それはとても辛いことのように思えた。
 銀次郎はそこまで言い終えると、気を取り直して、いつもの笑みを浮かべた。
「そんなわけで、一緒に祭凰館を盛り上げようぜ? そのときは好きな部屋を使っていい。今なら選び放題、より取り見取りってね」
「……ま、考えとくよ」
 いつも通りのつれない返事に銀次郎は苦笑した。
「知朱様がうちに来るですかー!? それは歓迎歓迎大歓迎、千客万来ですねっ!」
「まだ決まってねえって」
 言うに事欠いて千客万来とは、私になにを期待しているのだろう。
 百歩譲って訪れるのは、はた迷惑な敵だけだろうと思った。
 それでも、万歳をして嬉しそうに笑む楓を見れば、ここで暮らすのも悪くないように思えるのだ。
 好かれることは気分がいい。
「それはそうと、昨日から思ってたが、知朱様はやめてくれないか? 様って呼ばれるような者じゃないんでね」
「えええっ!? あやや、それは気付かなんで、申し訳ありませんですーっ!」
 楓はしばらく逡巡すると、ぽんと手を打った。
「ではちぃちゃんで!」
「いきなり距離縮めてきたな!?」
 それはそれでむず痒いものがあった。
「おーいいね、俺もちぃちゃんって呼んでいいか?」
「そりゃ蜘蛛って呼ばれるよりは……いや、いい。やっぱりやめろ。今まで通りでいい」
「そうか? 俺は憧れるね、かわいい呼び名」
「呼ばれる身にもなれよ、人斬りヤンマ」
「おっと、手痛いな。仕方ない、諦めるとしよう」
 へらへら笑いながらの軽口に、楓が引き込まれて笑っている。
 すこし思っていたことだが、銀次郎は周りを明るくするのが上手いらしい。
 たぶん銀次郎自身が楽しんでいるから、それにつられてしまうのだろう。
「ところでよ、ちぃちゃん」
「やめろっての」
「蜘蛛の嬢ちゃん」
 刀に手をかけたところですぐに言い直す銀次郎。
「魚凰宴祭って、誰かから聞いたか?」
「……なんだって?」
「うおうえんさい。早い話、祭凰館と魚の町が合同で催す祭りのことさ」
 その様子じゃ聞いてないな、と銀次郎は笑う。
 楓は思い出したように大きな目を丸くする。
「そういえば、もうそんな時期なんですねぇ」
「祇明さんがいなくなって、こっちからの参加者は減ったけどさ。蜘蛛の嬢ちゃんは祭りは好きか?」
「よく分からないな。祭りってのは行ったことがない」
「えええーっ、もったいないです! あれほど楽しいですのに!」
 大げさに驚いてみせる楓。
 銀次郎はもっともらしく頷く。
「ならいい機会だ。次の宴祭に参加してみないか?」
「……ま、考えとくよ」
「おいしいものたくさんですよー!」
 それには興味が湧く。
 神妙に頷いてみると、ふたりは声を上げて笑うのだった。



 しばらくして、銀次郎の部屋を出た。
 やはり賑やかなのはとても楽しいものだった。
 私はどうやら、そういう関係に憧れていたらしい。
 それを見事に銀次郎たちが体現してくれていた。
 祭凰館はどんどん居心地の良い場所になっていく。
 しかしそれが、なんとなく苦しくもあった。
 これまでずっと考えていた、私が住むと敵が増え、迷惑がかかるということとは別に、もうひとつの理由がある。
 祇明に似ていると持ち上げられ、それに期待されるのは、荷が重いように感じるのだ。
 祇明のように振舞えとか、そんなつもりで言っているわけではないのだろうが、どうしても頭の片隅で引っかかる。
 気にしすぎと分かってはいても拭いようがなかった。
 ふと廊下の向こうに、胡氷と紫子の姿を見かけた。
 向こうもこちらに気づき、近づいてくる。
「知朱さん、来てたのね。いらっしゃい」
「ああ」
「……口、なにかついてるけど?」
 口元を手で拭うと、饅頭の餡が手についた。
「銀次郎のところで饅頭をもらってた。これが美味いのなんのって。で、止まらなくなって……、えーっと」
 なんとなく恥ずかしさを感じてしどろもどろになる私を見て、胡氷はくすくすと笑った。
 その直前、すこし顔がこわばったように見えたのは、私の気のせいだろうか。
 作法がどうとかあるのかもしれない。気をつけなければ。
 一方で紫子は、仏頂面から色を変えない。
 むすっとしたまま見上げられると、あまり居心地の良いものではなかった。
「今度は私たちも貰わないとね」
「今ならまだ余ってるかもしれないぞ?」
「そうなの? なら、私は大丈夫だから、行っておいで」
 紫子は胡氷にお辞儀をすると、銀次郎の部屋へ小走りで向かっていった。
 私を横切るとき、少し睨まれた気がする。
「……嫌われてんのかな、私」
「気にしなくてもいいわ。あの子、人見知りするの。警戒する癖がある、といったほうが正しいかしらね」
「へえ。それはいい癖だと思う」
「そう?」
「誰が敵かも分からない世の中だからな。長生きするには役に立つと思うぜ」
「……そうね。そうかもしれない」
 胡氷はそっと目を閉じて、何事か思案する。
 直後、切り替えるように微笑んでみせた。
「もうお帰り?」
「最初っから特に用があったわけじゃないし、蛇火にお土産だって持たされた物もあるしな」
 紙に包まれたままの饅頭だ。
 言われたからには届けないといけない。
「そう。またいらっしゃい」
 小さく手を振る胡氷に応えて、祭凰館を後にした。



 狭間の檻の家に戻るが、蛇火の姿がなかった。
 どこへ行ったのだろうと探してみると、森のなかに畑があることを知る。
 そこで蛇火は畑仕事をしていた。
 なんとなく意外ですぐに声が掛けられなかった。
「なにかおかしいか」
 蛇火が振り返りもせずにそう言う。
 どこがおかしいかは分からないがなんとなく、面食らってしまった。
「刀を振ってるか、飯を作ってるかの印象しかなかった」
「そうか。つちいじりもするが」
「みたいだな」
 堂々とした太刀筋からは、まったく想像できなかった。
 鍬を持って土を耕している。
「なにがおかしい」
「い、いや、ほら……。あーそうだ、銀次郎から饅頭を預かってきた。食うだろ?」
 話を逸らす。
 蛇火は鍬を置くと、近くの水場で手を洗い流してから、差し出した饅頭を受け取った。
 そのまま何も言わずに口に含む。
 すると、すこし顔つきが柔らかくなったようだった。
「懐かしい味だ」
「らしいな。祇明は甘いものが好きだったとかなんとか」
 無口に食べ続ける蛇火。
 相変わらずの不愛想だが、これでもすこしは嬉しいのだろうか。
 食べ終わったところを見計らって、私は刀に手を伸ばす。
「蛇火、一勝負するぞ」
 その申し出にすぐさま頷くと、場所を変えようと歩き出す。
 家の前まで来て、互いに刀を抜いた。
 しかし勝負の行方は、もはや火を見るより明らかだった。
 私の攻撃はまるで当たる気配を見せない。
 それなのに蛇火の太刀筋はまるで読めないし、力負けもする。
 結局のところ惨敗だった。やはり悔しい。
 どうすれば蛇火の立つところに手が届くのだろう。
「正直すぎる。真向から力で勝負をしないほうがいい。勢いだけの力は逆手に取られる」
 蛇火は息を乱さずにそう言い、涼しい顔で刀を納めた。
 私は自分の刀を強く握り締めると、くるりと踵を返す。
「小屋に戻ってる」
「ああ」
「……なあ」
 私はふと蛇火に聞く。
「祇明ってやつは、本当に私に似てるのか?」
 蛇火は珍しく考え込んでいるようだった。
「ああ。似ている」
 ややあって、声がかかる。
 真剣なのかどうか掴みどころがない。
「やっぱり私には、そうは思えないんだけどな」
 その呟きは蛇火に届いたのか否か、私は返事を待たずに家へと歩き出した。



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