今までは誰に怒られようが、知ったことではなかった。
 しかし紫子の怒りは私の心を深く濁らせていた。
 祇明に似ているという私に対する、すこし理不尽にすら感じる八つ当たり。
 それを解してやらなければという気持ち。
 心の底に湧き上がる感情は、遠い昔置き去りにしたはずの、他者を救う執念だった。



  ―『覚』―



 紫子に襲われてから、かれこれ三日が過ぎ去った。
 祭凰館に足を運ぶ気にもなれず、銀次郎も訪れないまま、蛇火と二人の暮らしが続く。
 この三日間、それとなく祇明を殺した理由を何度も聞いた。
 しかし蛇火は「覚えていない」の一点張り。
 そんなことがありえるのだろうかと私は疑っていた。
 蛇火は、祇明と険悪であったわけではないらしい。
 そんな者を殺すときの気持ちを簡単に忘れられるものなのだろうか?
 私はそうは思わない。
 蛇火はなにかを隠している。
 蛇火が祇明を殺した裏には、なにか深い事情や秘密があるような気がしていた。
 そしてそのなにかが分かれば、紫子の怒りを解してやることができるかもしれない。
 そんなことを考え始めていた。
 しかしかといって祭凰館には行きづらい。
 どうしたものかと考えていると、家の玄関がとんとんと叩かれた。
 こんなに早い時分に誰だろう。
 控えめな叩き方から銀次郎ではないようだった。
 蛇火の姿がないので、私が出る。
 戸を開けると、そこには背丈の低い、茶色い癖毛の少年が立っていた。
 思わぬ来客にしばし見つめ合うと、少年はぺこりと丁寧にお辞儀をした。
「えーっと、どちらさん?」
 蛇火の客だろうか。
 これは失礼、と少年は袖と袖を合わせて手を隠す。
「僕は聡流という。祭凰館で学者をしている者」
「学者? そりゃまた……」
 堅苦しい話を想像して嫌になる。
 しかしそうも言ってられないので私も名乗ると、聡流は「あぁ」と納得したようにうなずいた。
「君が例の。手目銀次郎に話は聞いている」
「銀次郎に?」
「祇明殿によく似ているとね」
 また祇明に似ていると言われ、複雑な気持ちになる。
 聡流は検分するように私の姿を見る。
「ふむ、髪色も同じか」
「祇明の髪も赤かったのか?」
 自分の髪を引っ張って考える。
 意外な共通点だ。
 それも祇明の影と重なって、余計に祇明に似て見えるのかもしれない。
 そう思うと、すこし納得できた。
「蛇火殿は居られるか?」
「やっぱあいつに用か。じきに帰ってくると思うぜ」
 聡流は肩越しに後ろを見ながら「ふむ」と呟く。
「上がって待たせてもらいたい。いいかな」
「この家は私のもんじゃねえんだけど……。ま、好きにすりゃいいんじゃねえか?」
「そうか。ならそうさせてもらうよ」
 聡流は上がりこみ、腰を落ち着ける。
 その仕草すらも静かで気品を感じ、見ていて気が引き締まるようだった。
「……。あんた、祭凰館のひとなんだよな」
「そう言ったよ」
「……あー、えーっと」
 蛇火が祇明を殺したことを聞いてみようと思った。
 しかし口ごもってしまう。
 まだ祭凰館とは縁のない私が、祇明のことを詮索しているというのは怪しいように思えた。
 口を開いた手前、格好がつかなくなった私を眺め、聡流は口を開いた。
「祇明殿のことか」
「な……。分かったのか? なんで」
「気にするな。僕はすこしばかり勘が鋭いらしい」
「……分かってるなら素直に聞くぞ。私は祇明が殺されたことを詳しく知りたいと思ってるんだ」
「なるほど。……」
 聡流はなにやら考え込む。
「教えてくれ。祇明が殺されたその日、なにがあったんだ?」
「…………」
 しかし聡流は黙って、玄関のほうに視線を向ける。
 その直後、蛇火が家に帰ってきた。
「話は後にしよう」
「間の悪いやつだ」
 舌打ちをする私を見て、蛇火は「そうか」とだけ答え、聡流に目を向けた。
「珍しいことがある」
「息災のようだ。すっかり馴染んでいる」
「ここの暮らしも悪くない」
「それは何よりだ。このまま住み続けるのを、お館様は望んでおられないようだが」
 表情の変化もなく、淡々と言葉を紡ぐ聡流。
 蛇火は話を切り替えて本題に入ろうとする。
「用はなんだ」
「大したことではないんだけどね。調べ物をしにいく。黒い森にある家に」
 蛇火は鋭い視線を聡流に投げかける。
 聡流は目を伏せて続けた。
「事後承諾なんぞして問題があると言われても、つまらないと思った」
「そうか。……その話は、銀次郎に聞いたか」
「奴の言うことは信じられん。だが、この目で見る価値がある情報だった。祇明殿について知ることも出来よう」
 蛇火はしばらく考えたあと、頷いた。
 聡流はお辞儀を返す。
「恩に着る、蛇火殿。……それと、もうひとついいかな」
 そう言うと聡流はこちらを見る。
「知朱殿を連れていこうと思う」
「へ? 私?」
「話が途中だっただろう?」
 そういうことか、と納得する。
 私は頷くと、蛇火も文句はないようだった。
「すこしばかり危険もあって不安だった。構わない」
「危険? なにがあるってんだよ」
「獣がいる。運が悪ければ襲われるだろう」
 すでに立ち上がった聡流が私を手招きする。
「獣って……。私にそれをなんとかできると?」
「分からん」
 すっぱりと言う蛇火に、諦めて私も立ち上がった。



 聡流が黒い森と呼んだ場所は、夜のように暗かった。
 黒い葉の木が無数に立ち並び、その葉は日輪の光を受け付けない。
 聡流は家で見た時と同じく、眠そうな目で森の奥を見据える。
 そしてついに、袖と袖を合わせて手を隠し、小さな足音ひとつをお供に森へと入っていった。
 そこに迷いは微塵もない。獣が出ると聞きながら、肝の据わった少年だ。
 私も聡流を追って一歩を踏み出した。
「前お館様である祇明殿が殺された日。それは魚凰宴祭が催される日だった」
「魚凰宴祭って、もうじき開かれるっていう」
 そんなことを銀次郎に聞いた気がする。
 黒い葉を拾い、眺めながら聡流は頷く。
「魚凰宴祭は年に一度、魚の町で執り行われる、祭凰館と魚の町共同の祭事。故にその晩は、祭凰館の者は殆どが魚の町へ行っていた」
「けど、祇明たちが残っていたのか?」
「残っていたのは、祇明殿、胡氷殿、蛇火殿、紫子殿と手目銀次郎。この五人のみが残っていたらしい。なにも不思議はない、皆お館様の傍にいる主な者たちだった」
「銀次郎は祇明が殺されるところを見たって言ってたけど、紫子は見ていたのか?」
「そうだろうな。その瞬間こそ見てはいないのかもしれないが」
 聡流は迷うことなく森を進む。
 黒い葉の隙間を縫って入り込んだ光が、綺麗な斑を地面に描く。
 それを頼りにして聡流を追う。
 光が入りにくいせいか、やけに涼しい森だった。
「紫子殿と手目銀次郎が見たのは、刀を握った蛇火殿、涙を流す胡氷殿、そして祇明殿の骸。祇明殿の傷は刀による切り傷に間違いなかった」
「…………」
「そして手目銀次郎曰く、そこで蛇火殿が言った言葉がこうだ。『祇明は俺が殺した』とね」
 私は、すこし考える。
 なにかが引っかかった。
 そしてその引っかかりは、考えるとすぐに出てくる。
 なぜ蛇火は、わざわざ『祇明は俺が殺した』と口にしたのだろう。
 考えを言うと、聡流もうなずく。
「誰が見ても一目瞭然。蛇火殿が祇明殿を殺したとしか思えない状況を、なぜ口頭で話したのか」
 聡流はすこし思案してから続ける。
「蛇火はその場にいる誰か、あるいは全員を敵に回したかった」
「……そんなこと」
「あるいはその場にいる者に衝撃、なんらかの恐怖、絶望を与えたかったか」
「…………」
「どれも違和感がある。蛇火殿にしてはらしくない。それに本気でそのどれかだとしたら道理が通らん。普通は隠したがる」
 聡流も話しながら整理をしているらしい。矢継ぎ早には話してこなかった。
「そこで僕に思い浮かぶ最後の可能性。その場にいる誰かに、そう説明する必要があった」
「……それも微妙な気がするけどな」
 説明するとしたら紫子や銀次郎になるのだろうが、蛇火が祇明を殺したことなど、一目見ただけで察せるはずだ。
「僕もそう思う。……僕に説明できるのはこれだけだ」
「もう終わりか?」
「僕は当事者ではないからな。事件を語ろうとしない当事者から辛うじて聞き出せたのがそれだけだ。蛇火殿には訊ねていないが、似たようなものなのだろう?」
 確かにそうだった。
 銀次郎たちは、本当にそれしか見ていないだけなのだろうか。
 紫子は忘れようとしているらしいので、事を広めまいとしているのだろう。
 銀次郎は蛇火と仲良くしているし、よく分からないが割り切っているのだろう。
 胡氷は殺されるところを見てしまったらしいし、我を失い、忘れてしまっていても不思議はない。
「目的地が見えてきたようだよ」
 聡流はそう言う。
 視線を辿ると、光が見えた。
 その辺り一帯だけは木が切り倒されていて、そこに屋敷が建っているようだ。
 聡流は説明する。
「あれは、祭凰館に来る前の蛇火の家らしい」
 ただそう言って、歩みを早めた。



 屋敷は古びているが、かつて人が住んでいたことを想像させる風情があった。
 黒い森に囲まれていても、ここには日差しを遮るものがない。
 これまで暗いところ歩いてきただけあって爽快だった。
「いいところだな。周りが暗いけど」
「ここに家を建てたのには、理由があったんだろうな」
「こんな森のなかに住む理由?」
 聡流は玄関を開け、中に入っていく。
 相変わらず後を追いながら考えてみると、すぐに可能性に思い当たった。
 私みたいに身を隠したいひとなら、こういった人気のない場所はもってこいだ。
 そう言ってみると、聡流は一度うなずく。
「追われていたかどうかは分からんが、俗世から離れるには良いところだ」
「なんで離れる必要があったんだ?」
「それは分からない」
 聡流は家のなかを隅々まで調べていく。
 不思議とこの屋敷は、懐かしいように思えた。
 もちろん、一度としてこの屋敷を訪れたことはない。
 しかしそれでも、妙に胸が高鳴った。
 私はこの家を知っている。そんな気になる。
「聡流。この屋敷って」
「うん?」
「……いや」
 なんでもない、と首を振る。



 有りもしない記憶を突かれるようで、不思議な気分だった。
 玄関、居間、縁側、それらが見るたびに懐かしさを覚える。
 この感覚はなんなのだろう。
 頭の片隅で考えていると、聡流はひとつの部屋に行き着く。
「ここか」
 聡流はつぶやくと、部屋の奥へ進んでいく。
 なにを見つけたのかと身を乗り出すと、そこには仏壇らしきものがあった。
 聡流は手を合わせた後、仏壇に手を伸ばす。
「おい、触って大丈夫なのか?」
「うん。大丈夫だ」
 聡流がそうして何かを掴み、手を引いてくる。
 持ってきたのは、まん丸い石だった。
 しかしその石は真っ二つに割れてしまっている。
 綺麗な断面を残したそれは、仏壇に意味有り気に供えられていたものだった。
「…………」
 聡流は黙ってそれを注視する。
 今までにないほどの真剣な表情だった。
「……なるほど。確かにある。見えにくいが、これが……」
 聡流は自分の世界に入り込んでしまった。
 この石になにかあるのだろうか。
 私も横で見つめてみる。
 すると、ここに来て溜まった懐かしさが、どっと押し寄せた。
 私が見ているのはただの石ころだ。
 しかしその石ころから、たくさんの感情が呼び起こされる。
 それらは心のなかでない交ぜになって、また膨れ上がっていく。
 頭痛がするみたいだった。
 ただの石ころを相手に、どうしてこんな気持ちになるのだろう。
 感情に身を委ね、渦に流されるように、されるがままになっていた。
「知朱殿? 大丈夫か?」
 聡流の声にはっとする。
 気づけば私は、一滴の涙を流していた。
「あれ、なんで……」
 慌てて拭うが、後から後から押し寄せる。
 まるでさっきまでの感情が、すべて涙に変わって体から出ていくようだった。
「…………」
 聡流が目を丸くしている。
 普段は眠そうにしている目を見開いて、驚いているようだった。
 それもそうだろう。恥ずかしくなって後ろを向いた。
「本当に、手目銀次郎が言った通りなのか……?」
 そう、聡流が呟いた気がした。



 しばらくすると涙も落ち着き、私は屋敷の外で空を見ていた。
「あー……。恥ずかしいところを見られたな」
 隣の聡流の顔が見れなかった。
 聡流は首を振る。
「そうでもない。なに、よくあることだよ。感情が暴走してしまうことは、なにをきっかけに起きるか分からない」
「きっかけ……は、何だったんだろうな」
 なぜか懐かしさを感じた。
 それが始まりだったような気がする。
「落ち着いたのなら戻ろう」
「ああ。もういいのか?」
「うん。いい収穫だった」
 聡流はそう言って、手に握った割れた石を見せた。
 それが目的だったらしい。
「これで一歩、真実に近づく」
 聡流はそう言って、私と一緒に空を見上げた。
 それからすぐに私たちは森を出るため、蛇火の言った獣に気をつけながら歩み出した。



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