今日は珍しい客がやってきた。
「知朱様ー、知朱様ー、いらっしゃいますかー?」
 日も昇りきらぬ未明の頃に、椿が訪れたのだ。
 私は玄関戸を開けて対面する。
 椿は静かに微笑んだ。
「おはようございます、知朱様ー。……あ、いけない、ちぃちゃんだったですー」
 ちぃちゃん。
 その呼ばれ方で目を覚ます。
 そういえば楓には「これからちぃちゃんと呼ぶ」と言われたような気がした。
「あー……、何の用だ?」
 やはり気恥ずかしいのだが、まずはわざわざ狭間の檻を訪れた用を聞こうと思う。
「はいー。言付けを預かり候なのですー」
「蛇火じゃなくて、私に?」
「そうですねー。蛇火様には、手の目の兄さんから嫌味が届いているのですが。ふむむ、お伝えしにくいです」
 眉を下げて情けなさそうに笑う椿。
 ふと見れば、足元がふらふらしていて危なっかしい。
 椿は夜中の見張りだから、これから眠るところなのではないだろうか。
 そう思い当たって、慌てて家に招こうとする。
「悪い、上がって休んでくれ」
「…………」
「椿?」
「はっ」
 びくっと飛び跳ね、目をまん丸にして、今度は照れ臭そうに笑った。
「眠ってしまうところでした」
「目ぇ開けたままだったけど」
「言い直すと、眠ってしまいました。恩に着ます、ちぃちゃん様ー」
 寝ぼけているのだろうか。もはや呼び方がよく分からないことになってしまっている。
 これは早く用を済ませてやらないと可哀想だ。
「それで、私に言付けって?」
「はい、お二方から預かっておりますー。手の目の兄さんと聡流様、どちらからにしますかー?」
 そう聞き返されるので、とりあえず聡流の伝言から聞くことにした。
 椿は「承知しました」と頷くと、袂から一枚の紙を取り出す。
 それを差し出されるが、中身はどうやら文字らしい。
 私にはなにが書いてあるのかよく分からなかった。
「ふむむ、聡流様は達筆ですからしょうがないです」
「いや、そうじゃないんだ。私、文字ってよく分からなくてさ」
 簡単なものは分かるが、小難しい漢字が入ってくるとそうはいかない。
 それに聡流の字は椿の言う通り達筆で、読むのに苦労しそうだった。
「ありゃ、そうでしたか。では、私が読み上げますか?」
「読めるのか?」
「聡流様の文字でしたら仔細なしですー。でも私が読んでもいいものか」
「いや、頼む」
「承りましたー」
 ぴらりと紙を開いて、なかに書かれた言葉を読み上げ始める。
「知朱殿へ。突然だが、近いうちに僕の部屋にきてほしい。大事な話があるんだ」
 椿はふと首を傾げる。
「恋文ですかね?」
「……いやいや、ないだろ」
「ふむむ。続けます」
 えーっと、と呟いてから大きな瞳で文字を追いかける椿。
「考えてみれば、まだ言ってなかったことも多々あるし、なにより、僕のなかで君に話をする踏ん切りがついた。僕も祇明殿が殺された件について解き明かしたいと思っているので、協力は惜しまないつもりだ。では待っている」
 途中からだんだんと声に動揺が混じりながらも、なんとか平静なまま読み終えてくれた。
「……祇明様のこと、お調べなのですか?」
 困惑した目でこちらを伺う。
 意地でも自分で解読したほうがよかっただろうか。
 すこし後悔しながら頷いた。
「私、紫子に殺されそうになったんだ。私と祇明が似ているから、祇明のことを胡氷に忘れさせたい紫子にとって、私は邪魔らしい」
「そうでしたかー。……なんだか、すごいことを聞いてしまいました」
「祇明を殺したのは蛇火なんだろ? だけど、私にはどうも納得がいかないんだ」
「?」
 こてんと首を傾げる椿。
「蛇火は、なんで祇明を殺したのか覚えていないと言ってる。……そんなことがあるのかって、胸のなかがもやもやしてる」
「この一件には、私たちの知らないなにかがある?」
「そういうことだ。蛇火の真意やら、祇明が死ぬことになった経緯やら。そういうものを紐解いてやれば、胡氷や紫子の心をなだめる何かになるんじゃないかって思うんだ」
 もしそんなことが出来るとすれば、きっと祇明が死んだ日に鍵があるのだろう。
 祇明を忘れようと努力する紫子。
 紫子の怒りになにも応えない蛇火。
 そういうものも、どこかおかしく感じた。
 まずは、祇明を殺した蛇火の心。
 それを調べるところから始まるのだ。
「ちぃちゃん様」
「ん?」
「私も、ちぃちゃん様は祇明さんに似ていると言いました。けれど紫子様のように、ちぃちゃん様のことを嫌ったりはしてないです」
「そっか」
「でも、紫子様の気持ちも分かるんです。こんなに悲しいなら、いっそ忘れたほうが楽だって。……ですけど、私と姉様は覚えていることを決めました。祇明さんがしたように祭凰館を明るくしたいから」
「うん」
「だから、何が言いたいかっていうとですねー。……祇明さんのことを覚えたままに、紫子様の気持ちが楽になるというのなら。お館様の気持ちが楽になるというのなら。私はちぃちゃん様の力になりますよー。きっと姉様もです」
「いいのか?」
「もちろんですよー」
「はは、助かるよ。ありがとな」
 椿の照れ笑いに笑い返す。
 そのままふらっと眠ってしまいそうになるので、体を支えてやる。
 椿はまたはっとすると、咳払いをして気を取り直した。
「では、手の目の兄さんからの言付けを。こちらは直に言葉です」
「頼む」
「えーこほん。紫子ちゃんには蜘蛛の嬢ちゃんのこと、しっかり言い聞かせといたから、祭凰館に来ても安全だぜ、とのことです」
 ここ何日か、銀次郎はずっと紫子の説得をしていたのだろうか。
 だとしたら、銀次郎の根性も凄いが、紫子の頑固っぷりも凄まじい。
 それも仕方ないことなのかもしれないけれど。
「ふぁーあ……」
「眠いだろうに、わざわざありがとな」
「いえいえ。……もうダメですー」
 自分の仕事が終わって安心したのか、ついに椿は目を閉じてしまった。
 また支えてやると、小さな寝息が聞こえてくる。
 私は椿を背負うと、家を出ることにした。
「おい蛇火。ちょっと出かけてくるからな」
「ああ」
 姿が見えないと思っていたが、気配を消していただけで居たには居たらしい。
「なにこそこそしてんだよ」
「椿には怖がられている節がある。まして祇明を殺したのは俺だ。居ては話に集中できんだろう」
「銀次郎から悪口が届いてたみたいだぜ?」
「大方の予想はつく。捨て置けばいい」
「はっ、なるほどね。……蛇火」
 最後、私は蛇火を睨む。
「なんだ」
 相変わらずの態度の蛇火。
「おまえが祇明を殺した理由、絶対に暴いてやるからな」
 蛇火はしばらく黙った後、すこしだけ笑ったような気がした。
「そうか」
 目を伏せた蛇火の仕草は、他者に心を読ませない。
 私は蛇火を睨むのをやめ、静かな寝息を立てる椿を背負ったままに歩き始めた。



  ―『真実に向かって』―



 祭凰館に入ると、すぐに紫子と出くわした。
 思わず身を固くすると、椿が背中からずり落ちそうになるので、慌てて背負い直す。
 そんな私を見て、紫子は一回睨んだ後、ため息を吐く。
「こっち」
 短く言い置いて、私の前を早足で歩き始めた。
 あわてて小さな背中を追いかける。
 敵意を隠すつもりはないようだが、銀次郎の顔を立てようとしているのか、私を襲おうとは思っていないようだ。
 やがて紫子の足は、ある部屋の前でぴたりと止まる。
 肩越しに振り返った紫子は、やはりきつい目つきをしていた。
「この部屋に寝かせて」
「てことは、ここは椿の部屋か」
 こくんと紫子はうなずくと、そのままどこかへ歩いて行ってしまった。
「あっ、おい!」
 呼びかけも空しく、紫子は廊下の奥へ消えていく。
「……ま、礼なんか言われても、あいつは嬉しがらないか」
 どうにも溝は深いらしい。
 闇討ちをしようなんて大それた真似をするくらいには私を嫌っているのだ。それも当然だろう。
 ため息を吐いて、部屋のなかに入る。
 すると、ずいぶんと寝相が悪かったらしい、荒波の如くぐちゃぐちゃになった布団と、近くに今しがた起きたらしい楓が座っていた。
 ぼさぼさの髪を梳かしながらこちらを向くと、大きな目を丸くする。
「あやや、ちぃちゃん! 姉様、寝ちゃったんですか? わざわざありがとーございますっ」
「いいさ、気にすんなよ」
 ここに寝かせていいか? と布団を顎で指して訊ねると、快くうなずいてくれる。
 椿を横たわらせ、荒れ狂った毛布をきちんと直してから肩までかけてやる。
 安心しきった表情で眠る子だ。
 なんとはなしに寝ている椿の髪を撫でると、くすぐったそうに身じろぎをした。
「姉様、どうしたんですかね? なんでちぃちゃんが姉様と? うーんうーん」
 髪の手入れも忘れて、寝癖がついたまま腕を組んで考え込む楓。
 私は適当にかいつまんで、椿が訪れてからのことを話して聞かせた。
 すると、合点がいったように手を叩く。
 その音で椿が起きないかと不安になった。
「なるほどですっ。事情は分かったので、姉様といっしょにちぃちゃんのお手伝いをどーんとしますよっ!」
 胸を張ってそう言ってくれた。
 二人も蛇火が祇明を殺したことについて、すこしくらい違和感があったのかもしれない。
 それもそうだ。
 よそ者の私が違和感を感じるくらいなのだ。
「えーっと、でも、どう手伝えばよいのやら。うーん。私も当日、居合わせたわけではないのです。いつの間にか起こって、終わってたもので」
「そうだったな」
 聡流が言うには、祇明が死んだその場所に居合わせたのは五人だけ。
 蛇火、胡氷、紫子、銀次郎、そして祇明。
 言うと、楓は珍しくしかつめらしい顔でうなずいた。
「見張りとして情けない限りなので、もう油断はしませんよー!」
「ん、そうだ、それだけどよ。おまえらは魚凰宴祭に行ってたんだよな?」
「そうですよー。こんなことを言うのはあれなんですけど、すっごーく楽しかったです」
「なんで見張りをしなかったんだ?」
 すこし不思議だった。
 見張りとしては、祭凰館にお館様だった祇明を残して魚の町へ行くのは、できれば避けたいことのように思える。
 楓は気まずそうに笑った。
「あははー……、ごもっともですよ。ちぃちゃんの言う通りです」
 えーっとですね、と楓は話してくれた。
「手の目の兄さんがですね、自分が見張りをやっておくから、先に行っててもいいぞ、と言ってくれたのです」
「銀次郎が?」
「そんなわけで、手の目の兄さんが居残ってくれまして、私たちは祭凰館から離れちゃったんです」
 なぜそんな役を買って出たのだろうか。
 銀次郎はひとが良いので、ただの善意かもしれない。
 銀次郎が事の次第を見たのは、まったくの偶然なのだろうか。
 楓も思ったらしく、頭に指を当てて首を傾げた。
「……まだ隠された真相があるかもしれない、と言ったですよね?」
「ああ、そう思ってる」
「ほあー……」
 間の抜けた声を漏らして楓は考えるが、しかしなにも浮かばなかったようで髪をわしゃわしゃと掻きまわした。
 せっかく整いかけていた髪がまた崩れてしまったが、そんなことは気にせずににかっと笑顔を見せる。
「分かりませんっ!」
「潔いな。でもま、話に乗ってくれてありがとよ」
「いえいえっ! これからもなにかあったら頼ってください! どーんとですよ、どーんとっ!」
「おう、わかった」
 とりあえず椿も無事に送り届けたので、次は聡流の部屋へ行こうと思う。
 しかしそうは思うが、考えてみれば、私は聡流の部屋がどこなのかを知らない。
 楓に聞いてみると、道案内をしてくれるというので、どんと任せることにした。
「あ、それとさ」
「はい、なんでしょ!」
「ちぃちゃんっての、やっぱり止めないか?」
 どうにも慣れなかった。
「? うーん、では知朱さんですね!」
 きょとんとしながらも、とりあえず頷いてくれた。



 聡流の部屋に入ると、聡流はこちらを見て、眠そうな目を丸くした。
 たぶん、楓が一緒だから驚いたのだろう。
 これまでの経緯を話すと、聡流は分かったと頷いた。
「巻き込んで悪いね、楓殿」
「巻き込むだなんてそんなー! 青臭いです!」
「水臭いじゃないかな」
 言いながら、聡流は二人分の茶を淹れてきた。
 私と楓の前に湯呑を出して、私たちに向き合うようにして座る。
「さて、まずは注意から入るとしよう。これ以上、祇明さんの一件を調べていることについて、他言はしないでほしい」
「? 別にいいけど、なんでだ?」
「妄りに話していいことではないからね。特に、胡氷殿には内密に頼むよ」
 楓と一緒になって頷いておく。
 聡流は「さて」と言って続けた。
「僕は知朱殿に協力をする。しかし、それだけだ。話せないことは話せない」
「話せない? なんでだよ」
「言うなれば、僕の考えが合っているとは限らないからだ。できるかぎりは知朱殿自身で真相に向かってほしい。僕はあくまで、協力者という立場に甘んじることにするよ」
 つまり、万一にも間違った情報が伝わって、それを鵜呑みにされないための話らしい。
 私も惑わされるのは御免だった。
「わかった。けど、だったら話せることはあるのか? まさか今は何一つ話せないってわけじゃねえんだろ? わざわざ呼んでおいて、それはなしだからな」
「そうはやるな。まずは今、知朱殿の知っていること、思っていることを聞いておきたい」
 聡流はそう言うので、知っていることを話す。
 祇明が殺されたのは魚凰宴祭の日。
 当日、祭凰館の者のほとんどは魚の町へ行っていた。
 楓と椿は、銀次郎に見張りを任せていたので祭凰館にはいなかった。
 祭凰館にいたのは、蛇火、胡氷、紫子、銀次郎、祇明の五人。
 祇明を殺したのは蛇火。殺したことに深い理由はないと言っているが、私は怪しいと思っている。
 なにか隠している真意があるのではないか。そう疑っているのだ。
「なるほど」
 聡流は目を閉じて、私の言葉を噛み砕くようにして考える。
「ふうむ、なるほどですっ」
 ついでに楓も考え込む。
 しばらく部屋を見回していると、聡流は口を開いた。
「わかった。それでは追及していこう」
 袖と袖を合わせて手を隠し、ついと私と目を合わせる。
「私から聞いていいか?」
「もちろん」
「昨日行ったあの家は、本当に蛇火の家だったんだよな?」
「正確に言えば、甚六殿という男の家になる」
 聡流は目を伏せる。
「すでに亡くなられているが……。蛇火殿の父であり、祇明殿の養父だった方だ」
「…………は?」
「つまり蛇火殿と祇明殿は、血の繋がりのない兄妹ということになる。あの家に三人で暮らしていたらしい」
 蛇火と祇明が兄妹とは、初耳だった。
 隣で楓はうんうんと頷いている。
「仲の良い兄妹でしたねぇ」
「一切の気兼ねがないといった感じだったかな」
「なんだかんだで、お互いのことを思いやってましたし。ふむむ、より一層に謎です」
 確かに、蛇火が祇明を殺した理由が更に分からなくなった。
 私は次の質問を投げる。
「それで、その蛇火たちの家から持ってきた石ころ。あれは結局なんなんだ?」
 聡流は棚から例の石ころを取り出す。
 半分に割れてしまった、丸い石。
「よく見てくれ」
 そう言われるので、私と楓の二人でじっとその石を見つめる。
 すると、ふと、きらりと光るものが見えた。
 それは線のように細く、石にぐるりと巻きついている。
「なんだこりゃ……。糸か?」
 呟きながら触れる。簡単に解けてしまいそうだ。
「そう、糸だ。これが僕の知り得る最大の情報になるかな」
「この糸が? なんなんだよ、もったいぶって」
「それは、きっと自ずと分かるだろう」
「確かじゃないことは言えないってやつか?」
「そうなるな」
 聡流は石を元の場所に置いてくる。
 そして私が他に聞くことはないか考えていると、ふと聡流は話を変えた。
「魚の町に、戌束という男がいてな」
「なんだよ、急に」
 聡流は棚から一枚の紙切れを取り出す。
「この紙切れは、知朱殿が狭間の檻に現れ、それを知った手目銀次郎が戌束より預かってきた文だ」
「ああ、あの時の……」
「紙にはこう書かれている。『祇明の死について調べてみるがいい』『僕は貴様に一切の手を貸さんがな』とね」
「随分と挑発的な文だな……」
「しかも、以降は笑い声がひたすら文字で書かれている。鬱陶しいことこの上ない」
 聡流は心底嫌そうな顔で話す。
 どうやら文の相手とは馬が合わないようだ。
「この文には、どうも『僕はおまえの知らない情報を握っているぞ』といった自信が透けて見える。かといって僕が出向くのも癪な話でね」
「……なにが言いたいんだ?」
「それこそが今日、僕が話したかった本題だ。単刀直入に言うと、知朱殿には戌束に会ってきてもらいたい。家はわかるか?」
 曖昧にうなずく。
 初めて銀次郎と会った日に、魚の町の学者を訪れるために付いていったあそこだろう。
 それはいいが、文の印象から私も会うのが恐ろしいのだが。
「では、この場はこれでお開きとしよう。楓殿もそろそろ仕事をしなければね」
「はっ、そうでした! あやや、すっかりお二人のお話に聞き入ってしまいましたぁー!」
 では失礼しますっ、と元気よく言って部屋を飛び出していく楓。
 元気な娘だ。
「知朱殿」
「ん?」
「狭間の檻を出るには、時間によって禊を済ませなければならない。あれは鉄壁の結界だ」
「鉄壁ぶりは経験したさ」
「にも関わらず、蛇火殿が狭間の檻に入るときは堂々としていた。なにか意図があるかのように」
「……意図?」
「それこそが知朱殿の言う、蛇火殿の真意なのだろう」
 聡流はそのように言って、目を伏せる。
「まだ生きていたか、さっさとくたばれ。と、戌束によろしく頼む」
 最後にそう言って私を見送った。
 よほど戌束という者を嫌っているらしい。
 なんとなく怖いので黙ってうなずくと、私も部屋を後にした。



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