もやもやした気持ちのまま、朝の祭凰館に訪れた。
 祭凰館の入り口に立っていた銀次郎を見つけ、息をついてそちらに体を向けて歩く。



  ―『墓守』―



 昨日の晩。
 銀次郎や聡流の話を聞いたあと、私は狭間の檻に帰ると、蛇火に今日あったことを全て話した。
 私の前世が祇明だということを告げると、蛇火は深く、安堵したようなため息をつく。
「そうか」
 という素っ気のない声には、なにか複雑な心境が映るようだった。
「なあ、いい加減に教えてくれてもいいんじゃねえのか? おまえの知ってることを全部」
「……。満月は近いな」
「おいこら。話をそらすな」
「そらしてなどいない。じきに二年だ」
 そう言ったきり、じっと目を閉じてしまう蛇火。
「おい」
 しばらくして痺れを切らして声をかけると、薄く目を開く。
「近いうちに銀次郎と聡流を呼べ」
 そう言った蛇火の目は、月のように白く光っていた。
「もう隠す必要もないだろう。かと言って焦ることもない。集まるのを待つ」
「……」
「知朱」
「なんだよ」
「来てくれてよかった」
 蛇火はそう言って、今まで見たこともないくらいに優しく、しかし小さく微笑んだのだった。
「……けっ。嬉しくねえんだよ。それって、私じゃなくて祇明に言ってんだろ?」
「分からん」
「んだよ、それ……」
 呆れた口調でつぶやくと、ひとまずその場を引き下がる。
 そうして私は長い一日を終えたのだった。



 銀次郎に蛇火との会話を伝えると「なるほど」と笑う。
「で、なんで蜘蛛の嬢ちゃんがそんなカリカリしてんだい?」
「……なんつうか、いつの間にか伝言係になっててむかっ腹が立った」
 今だって銀次郎に話をつけに来ているのはけっきょく私だ。
 しょうがないのかもしれないが、釈然としない。
 それにもう少ししたら、祇明のためにまた使われなければいけない。
 私は便利屋か。
「ははっ、もうしばらくの辛抱だろ?」
「どうだか。なんにせよ、もうお使いは御免だぞ。私も疲れた」
「思いのほか飽き性だったみたいだな」
「ほっとけ。好き好んで便利屋を引き受けた覚えはねえんだよ」
「そりゃ違いないわな」
 銀次郎は笑う。
 私は大げさにため息をつくと、銀次郎をじろりと見上げた。
「で? 次はいつ来るんだよ、蛇火んとこに」
「悪いな蜘蛛の嬢ちゃん。これからちっとばかし忙しくなるんだ」
「……はあ? 聞いてねえよ」
「そりゃ聞かれてねえし、しゃーないしゃーない」
 気楽なもんだな。
 もうすぐ魚凰宴祭の日だ。
 戌束が勧めた祇明との邂逅の日までもう少ししかない。
「……ん、いや。そうか、魚凰宴祭の準備か」
「おっ、ご名答。やっぱり蜘蛛の嬢ちゃんは切れ者だぜ、察しがいい」
「お褒めどうも」
「胡氷さんが倒れちまったからさ。俺たちでなんとか胡氷さんの分まで働かなきゃいけないんだ。すべてはお舘様のためにってね、これもまた下で働くもんの勤めってこった」
「は? ちょっと待て。倒れたって? 胡氷が?」
「昨日の晩にな。ちょうど蜘蛛の嬢ちゃんが帰った頃さ。心配するほどでもないはずだ」
 じゃあ、私が胡氷に会ってすぐか。
「……私のせいかも」
「え? そうなのか?」
 すこし深刻そうに感じたらしい、銀次郎は頭をかく。
「胡氷さんはいま、自室にいるはずだぜ。場所は……あー、紫子ちゃんか誰かに聞けばわかるように教えてくれる」
「やっぱ、会うべきと思うか?」
「便利屋はごめんなんだろ? 任せる。会うも会わないも自由さ。さあて、じゃあま、蛇火に会う時間を作るためにも、いっちょ頑張ってきますかねー」
 銀次郎は伸びをしたついでにひらひらと手を振ってから、背を向け魚の町のほうへ下山していった。
 その広い背中を見送った後で、さてどうするかと腕を組む。
 と、いつの間にやら近くの物陰から紫子がこちらを覗いているのに気づいた。
 思いがけず目が合った。
 なんとなく気まずい。
 しかし一方で紫子は毅然とした様子でずんずんとこちらに歩いてきた。
 目の前に立つと、きっと私は睨み上げられた。
「胡氷さんが元気ないのは、やっぱりおまえのせいなんだ」
 ……ややこしいことになった。
 頭を抱えたくなるが、ぐっとこらえて紫子の目を見つめ返す。
「言い訳くらいしてみたら」
 紫子が自分の袖に手をかけ、金属音を鳴らす。
 クナイだ。
 殺意の塊となった少女がそこにはいた。
 すこしでも目を逸らしたら一瞬で命を取られるような、かつて感じたことのない気迫。
「なんとか言ってみろ! おまえの目的はなに? 祭凰館のなにを狙って近づいた!」
 クナイの先端を胸に突き立てられてちくりとする。
「……震えねえのな」
 紫子の手にぶれはない。
 まっすぐに私の命に狙いを定めている。
「そんなの、今は関係ない!」
「関係あるよ。たいした覚悟だ」
「なにを……」
「おまえは胡氷が好きなだけだろ? いや、祇明のことも好きなんだよな」
「…………」
「なら、もうちょい待ってくれないか。おまえの好きなやつらがなんとかなるから」
 全部丸くおさまるかは分からない。
 祇明の言葉を胡氷に伝えるといっても、なにを話すことになるのかすら分からない。
 でも、祭凰館の人たちを見ていると思う。
 祇明ってやつは、いつだって祭凰館の中心で、言うならすべてを支える巨大な柱だ。
 祇明を想うと辛くなる胡氷も、そんな胡氷を守ろうとして刃を振るう紫子も、その支えを失ってぐらついているだけ。
 だったら、祇明のたった一言さえあれば――
「満月の夜まで、私を信じてみる気はねえか?」
 紫子の瞳が見開かれる。
 ぷいと視線を逸らすと、口を尖らせる。
「……そういうところが、嫌」
「祇明に似てるってか?」
 紫子はクナイを仕舞うと、私に背を向けた。
「どのみち、私はおまえを殺せない。……銀次郎から、手を出すなと言われてる」
「そっかい」
 銀次郎に言われている、か。
 本当にそれだけだろうか。
 最近になって少し思うことがあった。
 祇明に似ているという私を、紫子は殺すことができるのだろうか。
 確かに気迫はあるし、殺意もあったが……。
 思い返してみれば、紫子の闇討ちに遭った日も、私は紫子に勝っている。
 矜持もなにもかも捨ててやっと言えることだが、私は強い相手からは逃げてきた弱いやつだ。
 そんな私が、果たして本気の紫子と戦って勝てるのだろうか。
 紫子はお舘様の護衛を任されるくらいには腕があるはず。
 たとえば殺意のあまり思考がまとまってなかったとしても、私に付け入る隙はいくらでもあったはずだ。
 そう考えると、紫子はもしかしたら、本当は惑っているのではないだろうかと思う。
 祇明という光のように眩い影を前に動けなくなっているのは、胡氷だけではなく、紫子も同じなのではないだろうか。
 いつの間にか深く考えこんでいたらしい私の前に、なにやら大きな荷物を包んだ風呂敷が現れる。
 何事かと思った矢先、その荷物を押し付けられた。
 思わず両手で抱えると、紫子が不機嫌そうにこちらを見上げて立っている。
「手伝って」
 ぶっきらぼうに言い放ち、自分もなにか荷物を持って、どこかへ歩き出した。
 運べということらしい。
「お、おいっ! おっとっと……」
 見た目相応の重みに足がふらついてしまう。
 なんとか体勢を整えると、あっという間に先へ行ってしまった紫子を慌てて追いかけた。
「どうせ暇だったならちょうど良かったはず。断る理由もなし」
「だからってこんな急によ……。もうちょっと頼み方ってもんがあるだろ」
「……あぁ。便利屋は嫌ってこと?」
 やたらと大げさにため息をつく紫子に、荷を持つ拳に力がこもった。
 生意気な。
「……いつか痛い目見るぞ、おまえ」
 吐き捨てるように呟くと、紫子はちらりとこちらを見上げてからしかつめらしい顔をした。
 ……もし、もしもだ。
 全部が丸く収まったとして、私は紫子と仲良くなれるのか?
 まったく、つんつんしていて可愛げのない子だ。



 祭凰館より山の奥地へぐるりと回ると、そこには墓所があった。
 どうやらここが目的地らしい。
 紫子は軽く顔の汗を拭うと、墓所の入り口まで歩いていく。
 そこにはぼろぼろの小さな掘っ立て小屋が建っていた。
 墓所という不気味な空間も相まって、なんとも背筋が寒くなる場だ。
 紫子はぼろ小屋の扉をこんこんと叩く。
「食糧の蓄えです」
 そう声をかけてから引き戸に手をかける。
 ぎぃぃ、と人間の悲鳴を思わせる軋る音を立てて扉が開かれる。
 夜のように暗い小屋のなかに紫子は無遠慮に入っていく。
 視線で私にも「入れ」と促されるので、私もそのなかへ入り込む。
 外見同様に内装もぼろぼろだ。
「誰か居んのか?」
「墓守」
 私の問いかけに紫子が短く答えると、小屋の奥のほうをそっと指差した。
 指先を視線で追い目を凝らすと、誰かが横になって眠っているのがぼんやり見えた。
 どうやら少年のようだ。
 みすぼらしい襤褸を纏い、裂け目から見える彼の体は貧相に痩せて見える。
「……こいつは?」
「……。墓守。名前はない。ここのお墓を守ってくれている」
 紫子は彼の近くに荷物を置くと、墓守の少年の近くに座る。
「食べ物、ちゃんと食べないと」
 と囁くと、墓守だという彼はゆっくりと目を覚ました。
「むな……。おはよう、ございました? ……むなむな。こんばんは、ですか?」
 実に眠たそうに目をこすりながら、高い少年の声で話す墓守。
 紫子は一息ついて、座った彼に目線を合わせた。
「おはようです。……また痩せた。大丈夫?」
「うん。そうかも、です。でも、大丈夫です」
 墓守は眠たそうな顔のまま、ゆっくりと私のほうを見た。
 目をこすりながら体ごと大きく首を傾げる。
「祇明、さん、ですか。あれ、祇明さんじゃない、ですか」
「……とりあえず祇明じゃねえから寝ぼけんな。こいつの手伝いだ、おらよっと」
 私も荷物を下ろすと、「ふぅー」と息を長く吐きながら伸びをした。
 肩が凝ったので腕を振り回す。
 やれやれ、疲れた。
「? じゃあ、はじめまして。かな、です」
「おう。私は知朱」
「ぼくは。えっと。ななし。風切墓場の、墓守、です」
 風切墓場の墓守か。
 そういえば、祇明の墓もここにあるのだろうか。
 尋ねてみると。
「うん。奥。おっきな墓石」
「ふうん」
 なるほど、ということはまた来る必要があるらしいな。
 魚凰宴祭の日まで、あと何日だったかな。
 私が考えている間に、紫子はもう休憩を終えるつもりなのか小さな足を立たせて墓守のほうを向く。
「すこし焔弔草をもらっていく」
 紫子は言うと、墓守は大きくうなずいた。
「うん。場所、分かる、ます?」
「大丈夫。ありがとう」
 紫子は私の隣まで歩いてくる。
「ご苦労様。あとは好きにして」
 冷たい声と言い草に私は大げさに呆れたように息を吐いた。
「ったく、人のことを使うだけ使ってよ。やっぱりただの便利屋じゃねえか」
「違いもなし」
「っ、てめえ……」
 くすりと嘲るように笑ってから紫子は小屋を出て行った。
 なんというか、露骨に命を狙われるよりもきついな、これは。
 いままでにない気分だ。
 すこし気にしながらも、さてこれからどうしたものかと悩んでいると、ふと墓守がこちらを見ていることに気づいた。
「なんだよ。なにか珍しいか?」
「……うん。はい」
 墓守はそう言うが、すぐに気分を切り替えたらしく、持ってきた荷物のなかを漁りはじめた。
 そのまま神妙に語り始める。
「風切墓場は、夜にきたら、怖いです。ダメです」
「あ?」
「決まりです。ぼく、墓守なので。決まりは、お伝えしなきゃ、です」
 夜に来るな、か。
 こいつには悪いが、それは破ることになりそうだな。
「もし来たらどうなるんだ?」
「ぼくが、斬ります。侵入者を」
「怖っ!」
「だから、気をつけてください。ぼくの、意地です。戦うのは。しょうがないです」
「意地はいいが、なんで斬るんだよ……」
 墓守はじっと私を見つめる。
 その目の色は暗く、この小屋のなかのようによどんで見えた。
「……昏れたひと、土の下から、祟ります。眠っていられなくなって、起きてしまいます。ゆっくり、眠れません」
 真剣な表情と声音でそう言われ、知らず固唾を飲み込むと、大きな音が喉から鳴った。
 墓守はまた荷物の物色を再開してから言った。
「ぼくは、墓守です。墓守は、骨になったみんなを、守るひとです」
 丁寧なのにどこかふわふわとした言い方に紛れてはいるが、彼には彼の信念のようなものがあるらしい。
 私には墓守の使命がどうだとか言われてもピンとこない。
 彼の場合は少々過激な気がするが。
 ともあれ、私だって信念くらい持ち合わせている。
 譲れないと言うのなら、その気持ちは分かるのだ。
 きっと口先で何を言っても折れはしないだろう。
「参ったな」
「? 参り、ました? なに、ですか?」
「ああいや、こっちの話だ」
 満月の夜、祇明に会え。
 戌束はそう言っていたが、さて、どうしたものか。
 祇明に会うために、どうやら私は、この少年と戦わねばならないらしい。
「……ほんと、参ったな」
 もう一度、今度は聞こえないように呟く。
「むな……」
 私の気を知ってか知らずか、彼はおおきく欠伸をしてごろんと床に転がった。



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