墓守のところへ荷物を届けてから一日が経った。
 あれからは適当にぶらぶらして、空やら木やらを眺めたり刀を振り回したりして暇を潰した。
 この退屈というのが思ったよりも辛く、特にやることがないのも大変なものだと身を以って理解してしまった。
 なので今日は是が非でも誰かと話をしていようと思う。
 ――が、蛇火と話すのは飽きる。
 会話が続かないのもあるし、あれはあれで刀の手入れだの土いじりだの諸々と一人で忙しそうにしているのだ。
 手伝おうという気にももちろんなれない。
 なんで蛇火のことが苦手なんだろう、しかし反りが合わないのはもはや仕方なし。
 ならば蛇火と過ごすのはなしだ。
 かといって、銀次郎や紫子は魚の町へ魚凰宴祭の準備に出向いている。
 胡氷はまだ寝込んだままらしいし、そうでなくとも世間話であろうと会話をしにいかないのが無難だろう。
 聡流ならば居るかと思ったが、どうやら彼も魚の町関係でやることがあるらしい。
 楓ならどうかと言うと、誰もいない祭凰館を元気に走り回っているので、見回りの邪魔をするのもよくないだろう。
 誰もいないからこそ警戒しなければならないと気合が入っているようだ。
 そしてもちろん椿は、夜に備えておやすみだ。
 叩き起こすのは迷惑だろうし、なにより忍びない。
 ならば魚の町へ行こうかと思ったが、これもやめたほうがいいだろう。
 下手に邪魔をして魚凰宴祭の準備を遅らせれば、みんな集まって蛇火の話を聞く日取りも遅れてしまう。
 ……あとは沙羅木組の連中だが、暇潰しに付き合わせるような仲にはない。
 そもそも偶然に出会うしか顔を合わせる手段がないのだ、論外だろう。
「……となると、やっぱ墓守んとこだよな」
 あいつも魚凰宴祭の準備に駆り出されていたら終わりだが。
 おそらくそれはないだろう。
 紫子曰く、墓守は祭凰館の人間でもなければ、魚の町の人間でもないらしい。
「会ってみるか」
 長い思考を終え、祭凰館の裏にまわると、墓場へ続く細道へと分け入っていく。
 焦っても仕方ない、今日はのんびり行くとしよう。



  ―『人里の大地』―



 昨日とは違う足場の悪い獣道を通ったからか、歩くだけでも大きく体力を使ってしまった。
 途中で道に迷っては、ぐるぐる彷徨いながら「この木には見覚えがあるな」などと独り言を呟いて。
 葉に光を遮られてやたらと暗い場所に出たときには、もう祭凰館まで戻れないんじゃないかと思ったほど。
 ……おとなしく昨日と同じ道を通ればよかった。
 場所を思えば近道のはずだと思いきや、思いのほか時間がかかってしまった。
 私は自分が思うよりも方向音痴だったようだ。
 しかし、なにはともあれ墓場についた。
 墓守はまた小屋のなかに居るのだろうと見当をつけて木戸を叩く。
 返事はなかった。
「邪魔するぞー」
 勝手に上がり込んで、相変わらず薄暗い小屋のなかで墓守の姿を探す。
 すると、昨日と変わらない位置に寝転んですやすや眠る墓守の姿があった。
 そういえばそうだった、昨日も来たときには眠ってたっけ。
 起こしてもいいものか。
 悩みながらも、とりあえず疲れたので彼の近くに腰を下ろす。
「ふぅ……」
 なんとか人心地つくことができた。
 天井に入った小さな亀裂から差し込む一筋の光を見つめると、飛び交う埃がきらきらと楽しげに踊っている。
 しばらく眺めていると、傾いた日差しがそのまま墓守の目元をゆっくりと照らした。
「むな……」
 眩しそうに寝返りを打った墓守の体が、その拍子に私の手に触れる。
「……?」
 違和感を感じた墓守が薄ぼんやりと目を開ける。
「あー……、おはようさん。起こしちまったか?」
「……むな」
 腕でごしごしと目元をこすった後、私の顔をじぃっと見つめる。
「知朱さん、でした。でしたっけ」
「おう。邪魔じゃなかったら話でもしようぜ」
「?」
 墓守は私の言葉が届いたのか届いてないのか、丸い瞳で私を見上げ続ける。
 身に着けている着物がやたらと質素だが、上等なものを着ればいい意味で化けそうな少年だ。
 何の気なしにそんなことを思っていると、唐突に墓守は私の体に顔を寄せ、くんくんと犬のように匂いをかぎ始めた。
「な、なんだよ?」
 彼の様子に動揺していると、墓守はそのままもう一度私を見上げた。
 あまりの近さにまた驚いていると、彼は首を傾げた。
「独特の感じが、しました。匂いです」
「は? どんな匂いだよ。しっかり体は洗ったつもりなんだけどな」
「気配、でした。ごめんなさい。匂いなんですけど、気配で、その」
 彼なりに失礼なことを言ったと思ったらしく、表情にこそ表れないが言葉には動揺が大きく滲み出ている。
 それでも密着したまま離れる様子がないので不可思議なやつだと思う。
「そう。気配。人里の大地の、匂い。あ、気配です」
「人里の大地?」
 どっかで聞いた言葉だな。
 …………。
 ああ、そうだ。
 泥松が言っていたんだ。
 人里の大地から来たのか、とかどうとか聞かれた記憶がある。
「その人里の大地ってのはなんなんだ?」
「えと、えと……」
「ああ、それよりまず私から離れてくれねえか? なんかくすぐってえ」
「あ、ごめんなさい」
 ひょいと体を起こし、そのまま後ろにこてんと倒れるように座る墓守。
 かと思えば宙をじぃっと見つめ、言葉を選ぶようにしてきょろきょろ視線を動かす。
「人里の大地は、影明郷じゃないほうの世界」
「えいめいきょう?」
「ここです。影明郷です、ここ」
 また聞いたことのない地名だ。
「人里の大地は、元から人間が住んでいた世界。影明郷は、元々は妖怪の世界、です」
「……ん? ここ、影明郷なんだよな?」
「うん。そう」
「妖怪、居るのか?」
「ううん。いまはもう」
 墓守はまたなにかを思案する。
「神隠しって、知ってますか」
「あぁ、聞いたことくらいなら」
 たしか、人が唐突に居なくなり、二度と帰ってこないとか、そういう怪異だったはず。
「神隠しに遭ったひとは、門を通っています。その門の先が、影明郷。門を潜る前が、人里の大地です」
「……つまり?」
「知朱さんは、神隠しに遭ったんだと、思います。影明郷は、いままでとは違うものがたくさんあった、はずです」
 そりゃ、思い当たる節ならいくらでもある。
 万術という人それぞれが持ち合わせた不思議な力がまさにそれだ。
 それに、最近は平和ぼけしてしまっていたのか危機感が薄れていたが、私は国に狙われ、命を狙われる身であったはずだ。
 だが、私が追われていたのはあくまで人里の大地での話であり、影明郷まで私の存在が知られることはなかった。
 だから私はいま、追われることがない。
「…………」
 私は頭のなかを整理していた。
 信じるつもりはあるし、これでも驚いている。
 だが、不思議と辻褄は合うし、なにより万術というものを見せられた段階でこの手の話を信じてしまう癖がついていた。
 どれほど突飛な話だろうがなんでも信じることのできる自信がある。
 ……上手い話に乗せられないようにしないとな。
「じゃあ、はなっから私のことを知るやつなんて、此処に居るはずがなかったってことか」
 しっくりくる話だった。
 改めて呟くと、自分のなかの驚きがすぐに消え失せたことに気づいて思わず笑ってしまう。
 この影明郷という世界に毒されているんだろうな。
 私もなかなか順応力の高い人間だったらしい。
 影響されやすいとも言う。
 良いことなのやら、悪いことなのやら。
「えと。分かりましたですか」
「ん、ああ。なんとなく。……あ、もしかしてよ。えーっと」
 すこし言葉に詰まってしまったのは、いまいち説明がしづらいからだ。
 『祇明が死んだのは二年前』と聡流から聞いたとき、私の生きた時間と矛盾するんじゃないかと訊ねると、今は置いておこうと流されてしまった。
 説明を受ければ理解はできるが、今は必要ないとかなんとか言って。
 つまり、人里の大地と影明郷の時間の流れだとか、神隠しの門とやらをくぐったときに時間がおかしくなるとかがあるんじゃないかと思った。
 口下手なりになんとか伝えてみると、当然ながら墓守は首を傾げる。
「むつかしいのは、分からないです。でも、聞きました。影明郷と人里の大地では、時間の棚が違うと。……むつかしいことは、むつかしいことです」
「そうだな」
「分かった? ……ですか?」
「ああ。ありがとよ」
「良かった」
 墓守は静かに笑った。
 とても控えめに見えるのに、心の底からの笑顔に見えた。
 その表情を見て、昨日からひとつ気になっていたことを指摘してみることにした。
「……おまえさ」
「?」
「喋り方、ちょっと無茶してねえか?」
 昨日から思っていたことだ。
 本人は丁寧に話そうとしているようだが、なんだかとてもぎこちない。
「?」
「無意識か? いや、まぁいいんだけどさ。ただどうも畏まったのは嫌いでな、楽にいこうぜ」
「…………」
 墓守はしばらく考えこむと、うんとひとつ頷いた。
「わかった、知朱さん。……これで、いいですか。あ、いいかな」
「あんたが楽ならそれでいい。こっちも楽にしていいんだって思えるからよ」
「うん。楽かも。……です」
 不器用な丁寧語が癖になっているらしく、語尾に余計なのをつけないと落ち着かないらしい。
 それが楽なら、それでいいか。
「よう、墓守さんよ」
「はい。あ、うん」
 私は笑いながら、なんでもないことのように言ってみる。
「たぶん私、あんたが教えてくれた墓場の掟を破ることになる」
「?」
「私が夜にここへ来たら、おまえは私と戦わなきゃいけないんだろ?」
「……うん」
「そんときは自分のやり方を見失わずに、しっかり私の命を狙えよ」
「……はい。墓守の、意地です」
「よし」
 色々と知ったような口をきいてしまった気がする。
 が、これが私のやり方だ。
 命を狙われないこの影明郷という場所に来てから考えていたことがある。
 それは、蛇火のようになんだかんだと私に飯を食わしてくれる奴や、銀次郎のように笑いかけてくれる奴。
 泥松みたいに頼りにならなければ怖くもない盗賊とかいう奴や、胡氷のように苦しみながらお館をしっかり守っている奴。
 その胡氷を守ろうとして大立ち回りを演じた紫子みたいな奴だったり、とにかく色んな奴と知り合うことができて思ったことだ。
 みんな、確かな手前の生き方というものを持っていて、それを信じて生きている。
 その、意地とも言える自分のやり方だけは捨ててはいけないのだ。
 それが例えば、仲良くなった相手と戦うことがあろうとも、決して曲げてはいけないものなのだ。
 背けば自分が自分じゃなくなるような、体を支える一本きりの大黒柱。
 自分を自分たらしめる、そういう強い想い。
 それだけは折ってはいけない。
 ――私は、人里の大地に居た頃は、信念といったものを持ち合わせてはいなかった。
 しかし、影明郷で色んな奴に出会って、皆の信念というものをほんの少しずつ見ることができた。そんなつもりでいる。
 ならば私の信念とはなにか。
 ずっと考えていた。
 そして最近になって結論が出た。
 私は、決して他人の信念を折らせないことを信念とし、出遅れたものの皆の生き様からなにかを見出したい。
 それが私の新しい生き方だ。
 だからこそ、墓守が私と戦うことを意地と言うのならば、私は正々堂々と受けたいと思っている。
 きっとその墓守の姿は、私の世界の小さな光になるはずなのだ。
 夜の蜘蛛の朝も、きっと近い。



 しばらく墓場に留まった後、祭凰館のほうへ引き返すことにした。
 今度は安全で一番近い道を使う。
 二度と余計な遠回りなんてするか。
 そうして順当に帰り着くと、なにかを取りに戻ってきていたらしい銀次郎と遭遇した。
「おっ、蜘蛛の嬢ちゃん。今日も元気そうだな。巣に獲物はかかったかい?」
「へいへい。おかげさんでー。そっちの調子はどうだ?」
「おー、おかげさんで。魚凰宴祭から数えて三日前には一段落するんで、そんときに聡流を連れてそっちに行く。それでいいだろ?」
「わかった。……なぁ、あの見張りっ子は誘わなくて大丈夫かな」
「あぁ、調べ物を手伝ってもらってたんだっけな、蜘蛛の嬢ちゃん。でもまあ、誘っても来ないんじゃないかと思うぞ」
「見張りだから、か」
「まったく、真面目だよなぁあの二人は。俺なんかじゃ一生かかってもあそこまで健気にゃなれないだろうな」
 しみじみともっともらしく頷く銀次郎。
「銀次郎は真面目でもないのか?」
「そう見えるってか?」
「…………」
「黙るな黙るな、余計に耳に痛い」
 会話もほどほどに済ませると、銀次郎はまた魚の町へ向かっていった。
 本当に忙しそうだ。
 ああして働く姿を見ると、これはこれで健気といえるんじゃないかと思った。
「集まるまでまだ掛かるみたいだな……」
 呟いてまた途方に暮れる。
 明日はどう過ごして時間を潰そうか。
 ……とりあえず今日は、あとは祭凰館の適当な空き部屋でも借りてのんびりしよう。
 歩き詰めで疲れたし。
 そう決めると、暑くなってきた日差しから逃げるようにして祭凰館の門へと歩いていった。



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