待ち焦がれた瞬間が、もうすぐ訪れる。



  ―『楽しく生きてね』―



 墓守は刀を持っていなかった。
 しかし墓守は自分の影から黒い小太刀を取り出して、私に向けていた。
 どうやら墓守の万術とは、影を操る力らしいことを、しばらく打ち合って気づく。
 地面に放られた提灯が、ふたりの影を遠く伸ばし、その影を利用する。
 墓守は戦いのなかで、なにも語ることをしなかった。
 対照的に虫の声だけがやけに響く。
「……おい、真面目にやっているか?」
 墓守からは、殺意や戦意といったものをまるで感じない。
 私の攻撃を受け流すばかりだ。
 もともと感情に乏しいのだということは知っていたが、それにしても不気味な静けさ。
「…………まじめか、わからない。僕は、たぶん、迷っています」
 墓守はあいているほうの手を見つめる。
「……迷っています」
 もう一度だけ繰り返す墓守。
 私は刀を肩に引っさげ、息をつく。
「おまえがそんな調子だと、無視して墓に入ってしまうぞ?」
「それはだめです。……うん。駄目なことです」
 墓守は首を振る。
「生者は死者を起こし、死者は生者を祟ります。……だから、だめです」
「そうかい」
 私は刃を墓守に突きたてる。
 とらえたと思った拍子、墓守の体は黒く染まり、影に落ちる。
 そして別のところから再び現れる。
 その繰り返しで埒が明かない。
「……知朱さんは、悪いひとじゃないです。祇明さんじゃないけれど、祇明さんがいるみたいで」
 墓守は途中から、墓場の奥を見ていた。
 そちらには祇明の墓がある。
 私にもなんとなく分かっていた。
「本当は、僕は、知朱さんを止めることは間違っているって、思います」
「…………安心しろよ。私は祇明じゃない」
「けれど、知朱さんは、祇明さんに会いにきた。……僕にもわかる。それくらいは」
 墓守の惑いは深い。
 自ら決めた掟を破り、私を墓に招き入れるか。
 それとも逆に、掟通りに私を始末するか。
「…………決めました」
 ふと、墓守はつぶやく。
 その声は、小さいのに、鉄を打つようによく響く。
「やっぱり、戦ってください。……おねがいします。僕を倒して、祇明さんのところ、行ってあげてください」
「……おまえさ」
 決意を固めたらしい墓守に問う。
「どうしてそこまで、他人の侵入を拒むんだ?」
「……昔の話です」
 墓守は目を閉じると、語りだす。
 墓守の父親もまた、墓守だった。
 彼の父親は、遠くにある村の墓の番をしていたそうだ。
 ある蒸し暑い夏の日のこと。
 彼は仲の良い子どもを連れて、夜の墓場を訪れ、肝試しをすることになった。
 父親の仕事柄、彼もまた墓場のことは知りつくしていた。
 父親の知らない抜け道すらも。
 彼と子どもたちはその抜け道を使い、墓場に忍び込んだ。
 彼らは胸に高ぶる高揚感を抑えられず、会話に花を咲かせながら、墓場のなかを揚々と進んでいく。
 そうして一通り回り、帰ろうという段になったとき、墓場に異変が起きた。
 かたかた、かたかたと、あらゆる墓石が震えだしたのだ。
 異質な物音に恐る恐る振り返ると、喧騒に目を覚ました怨霊たちがぼんやりと透けて見える。
 彼らはたまらず逃げ出すが、時すでに遅し。
 次の朝、彼と仲の良い子どもたちが奇怪な死を遂げたという。
 そのどれもが、恐怖に顔を固めたままに。
「……そして、僕の父上は、責任をとって死にました。僕は逃げ出して……、ここまで来た。……もう、あれは嫌です、二度と……」
 今でも思い出せば震えるのか、墓守は自分の肩をおさえる。
「……本当は、分かっています。ここのお墓に眠るひとたちは、良いひとばかり。けれど……」
 墓守は迷いをふりはらうように、小さく頭を振ると、まっすぐに私を見据えた。
「……おばけに怖い思いをする前に、僕が楽に死なせるのが、僕のやることです」
 ずいぶんとねじまがった墓の守り方だ。
 きっと墓守にはこのやり方しか見つからなかったのだ。
「知朱さん。僕を斬って、いってください。僕のことも救ってくれた祇明さんを、助けてください」
 墓守は影の刀を構える。
 私もそれに応えるように刀を握りなおした。
 と、墓守の姿がすぅと闇にとけていく。
 しかしそれからすぐに、墓守は私の背後に姿を現した。
 刀を返し、振り向くと同時に墓守を狙う。
 だが墓守が私の影に刃を突きたてると、私は縛られたように動けなくなる。
「……影縫い」
 墓守の声にはっとして見ると、もう片手にも影の刀を持ち、私の首を狙っていた。
 力を込め、なんとか呪縛から逃げ出す。
 次いで地を蹴り墓守に迫り、刃を繰り出すが、またも闇にとけて姿を隠される。
「……」
 戦うのはいいが、あまり時間をかけていられない。
 胡氷が待っているはずだ。
 そう思って夕闇に消えた墓守の姿を探すと、ふと、黒い空から降る白いものに気がついた。
 手ですくうと滲んで溶けて、水になる。
「……雪?」
 気づけば、いつの間にやら空気がよく冷える。
 雪はまばらに降りつづけ、土に染みて形が残らない。
「…………あれは」
 消えるときと同じく、闇から現れた墓守は、よく光る目で山の頂上を見上げた。
 私も仰ぐと、雲のような白い靄に囲われた風切山のてっぺんから、雪が生まれているのがわかる。
 きっとあの靄は紫子のものだ。
「本当に急がなくちゃな」
 ひんやりと熱を奪うような冷気に身震いをすると、墓守に刀を構えた。
 このまま寒くなっていけば、刀を握る感覚すらも覚束ない。
 それに、早く行かなければならないようだ。
「…………胡氷さん」
 ちらちらと風に乗る雪を頬につけながら、墓守は一筋、涙を流した。
 やはり胡氷はあそこにいるらしい。
 あそこにいて、苦しんでいるらしい。
「早く助ける。来い、墓守」
 私はまっすぐに墓守に刃を向ける。
 墓守はこちらを向くと、小さく笑ったようだ。
 両手に持ったままの影の刀を逆手に構え、相対する。
「……僕の意地、踏みにじってください」
 墓守は一陣の風のように疾く迫る。
 私は刀を斜めに迎えうつ。
 墓守の影を利用する万術に注意を向けて、機会を待つ。
 墓守が目前まで辿り着くと同時、私は目を見張った。
 右の刃をうまく受け流し、墓守の隣を転がる。
 回りこむと、提灯の灯りではっきりとした墓守の影。
 そこに刃を突き立てて立ち上がると、引き抜いた刀の勢いはそのままに、墓守の姿をとらえた。



 倒れた墓守を見下ろす。
 墓守は目を開き、私の目を見返した。
「……僕、死にました。ですか」
 私は髪をぼさぼさとかきながら答える。
「死んでねえよ」
「…………」
 墓守は空に目を移す。
 注ぐ淡雪は増え、顔につくたびに墓守は冷たそうに身じろぎした。
「……もう、動けません。僕は、知朱さんに負けました」
「ああ。そうだな」
「…………。どうして、僕は、生きてますか」
 その質問に、私は呆れて返す。
「手加減が下手くそなんだよ、おまえは。手を抜かれていると知って、本気なんて出せるか」
「…………やっぱり、僕は抜いてましたか。手」
 冷たい空気をいっぱいに吸って吐く息は、白くなっていた。
「行ってください。……ここのお墓のひとたちは、良いひとたちです。もしもが怖かっただけ、おこりません、たぶん、何も。おばけは祟らないって、わかっています。……胡氷さんが立ち直ったら、僕も、立ち直るためにがんばります」
 たどたどしく言って小さく笑う墓守には、もう迷いはなかった。
 墓守の過去の忌まわしき記憶は、この雪のように綺麗に溶けることができるだろうか。
「祇明さんに、おねがいします。胡氷さんを、おねがいします。よろしく」
 しかし墓守の穏やかな顔を見れば、きっとかつての後悔から立ち直ることができるだろうと思うのだ。



 たくさんの墓石の間を、慎重に足を進めていく。
 こっちに祇明がいる。
 もっと、もっと奥のほう。
 なんとなくそれが私にはわかった。
 ようやく辿り着いたのは、大きな墓石。
 僅かに雪を被った墓は、ひどく寒そうに凍えてみえた。
 私は高鳴る胸を抑えつけながら、そっと墓石に触れる。
「……祇明?」
 とくん、と、大きく全身に血が巡る。
 墓石の後ろに回りこむと、鮮やかな着物の女性がいた。
 赤い髪は、私の色によく似ている。
 彼女は、自分の墓石に寄りかかって、爛々と輝く瞳で夜空を眺めていた。
「待っていたよ。とっても会いたかった」
 女性――祇明は、幽霊とは思えないほど明るい笑顔で、私を見上げた。
「こんばんは」
 祭凰館の者が二年間、ずっと焦がれていた無上の笑顔がそこにあった。



「あーっ! ひとと話すなんていつ以来だろう! ううん、会うなんていつ以来?」
 祇明は自分の墓石のまわりをぴょんぴょんと跳ねまわりながら言う。
「……二年ぶり、だろ?」
「あ、そうだっけ。そっかぁ。あれから二年も経っちゃったんだ」
 私は紫子から預かった供え物を渡すと、祇明は嬉しそうに中身を口に運ぶ。
「あぁ、至福……」
 この上なく幸せそうな顔をするので、私は思わず笑ってしまった。
 なるほど、たったこれだけでも祇明が慕われていた理由がよく分かる。
「あ、えっと。ごめんね、迷惑かけちゃって」
「あぁ、そうだな。だいぶ巻き込まれちまった。それもこれもあんたのせいでな。いい迷惑だよ」
「あはは、私の来世は優しいなぁ」
 どこをどう聞けばそうなるのか。
 空気は裂けるほど冷たいのに、胸ばかりが暖かくなっていく。
 小鳥が歌うように楽しげに笑う祇明。
「……やっぱ、私とおまえって似てねえよな」
 まるで正反対だ。
 そう言うと、祇明は髪を揺らしながら首を傾げる。
「ううん、そっくりじゃない?」
「そうか?」
「そうだよ! ほら、目元とか!」
「……そうか?」
「でも、背は私のほうが大きいね。ちゃんと食べなよ?」
「そうだな、ご忠告どうも」
 祇明は立ち上がると、手を後ろで組んで花のように笑う。
「さてとっ。たくさん、たぁーくさん話したいことはあるんだ。けれど、もうそろそろ行かなくちゃね」
「そうだな。寒くてしょうがないし。こっちが死んじまいそうだ」
「まったく、胡氷てば。私なんて気にしなくていいのに……。ううん、それができないから胡氷なんだけれどね。変わらないなぁ」
 私は祇明の墓石に、糸が絡みついているのが見えた。
 祇明の万術。
 己を縛りつけるいましめの糸。
 こいつを斬れば、祇明は私にとりつき、胡氷と話をすることができる。
 それが私の最後の仕事だ。
「それじゃあ、知朱ちゃん。最後に先人から一言!」
「……なんだよ?」
「楽しく生きてね。……あ、これは私の来世だからとかじゃなくて、知朱ちゃんだから言っているんだよ?」
「……楽しく、か」
 胸に暖かい日輪が昇る。
 祇明の魂と触れ合って、本当の夜明けが訪れる。
 ぽかぽかとした気持ちが、私という私を満たしていく。
 けっきょく、私も祭凰館のみんなと同様、祇明の笑顔に救われてしまったようだ。
「じゃあ、行くぜ。準備はいいな?」
 祇明は柔らかい笑顔で、ひとつ頷いた。
 私も笑うと、刀を抜く。
 ――これまで、私の歩む道は大変なものだった。
 生きていてはいけない人間だった。
 それを、こんなにも照らしてくれる。
 蛇火、祇明、そして祭凰館と住まう者たちには、感謝している。
 そんな皆をいっぺんに救うため、私は祇明の墓を一思いに断ち切った。



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